応仁の乱後の御所文化について、冷泉さん(右)と山科さんが両家の果たした役割を語ったシンポジウム=上京区合同庁舎

応仁の乱後の御所文化について、冷泉さん(右)と山科さんが両家の果たした役割を語ったシンポジウム=上京区合同庁舎

 歴史シンポジウム「応仁の乱後の御所文化~上の町と御所~」が4日、京都市上京区の区総合庁舎で開催された。冷泉家時雨亭文庫の冷泉貴実子常務理事と衣紋道山科流・家元後嗣の山科言親(ときちか)さんが、中世から江戸時代にかけて御所を中心に育まれた文化について、両家が果たした役割を語った。


 応仁の乱以降、冷泉家と山科家は御所の前に隣同士で住み、婚姻関係もあったという。冷泉さんが「家が近すぎて花嫁行列はあえて遠回りして巡った」という逸話を披露し、笑いが起きた。

 和歌や装束など、両家はそれぞれ天皇の祭事を支える中で格式を高めていったという。冷泉さんは「江戸時代、冷泉家が歌道を大名や有力町人に教え、上方の文化の源流となった」と指摘した。

 山科さんは「装束の着想は古文書を読み解くだけではなく、人から伝承されて初めて理解できるところがある」とし、「年中行事から御所の文化が芽生え、現代にもその種が埋まっている。源流である御所文化を伝えていきたい」と語った。

 上京区民の有志でつくる「応仁の乱東陣プロジェクト実行委員会」や同区などが主催し、地元住民ら約30人が参加した。