全国高校総体での大橋悠依選手(2013年8月17日、長崎市民総合プール)

全国高校総体での大橋悠依選手(2013年8月17日、長崎市民総合プール)

笑顔でインタビューに答える大橋(2017年、大津市・京都新聞滋賀本社)

笑顔でインタビューに答える大橋(2017年、大津市・京都新聞滋賀本社)

 東京五輪の競泳女子400メートル個人メドレーで25日、金メダルに輝いた滋賀県彦根市出身の大橋悠依(イトマン東進、草津東高―東洋大出)。「不安もあったんですけど、自分を信じて。いろんな人に支えられ感謝しています」。レース後に語った日本勢初となる金メダルの影にある思いを、これまでの取材から振り返る。


 重圧をはねのけ、初の五輪切符を手にした今年4月3日夜。大橋悠依(25)はLINE(ライン)で届いた父・忍(62)からの祝福メッセージに、彦根市のキャラクター「ひこにゃん」のスタンプを添えて返信した。

 「タイムが遅い(笑) がんばるよ」。三姉妹の末っ子。卵やエビなどアレルギーがあり、鍋などは家族と別に小鍋に分けることが多かった。病弱だったが、幼稚園のころに初めて行った福井県の水晶浜でひるまず海に入って泳ぎ、家族を驚かせた。「全く水を怖がらなかった」と忍は懐かしむ。

 長女の芽依(30)と次女の亜依(28)を追って滋賀県彦根市のスイミングスクールに通った。「体力がなく練習嫌いだった」というが、小学校時代から全国大会に出場していた。家族は東北や九州など遠方の会場でも車で駆けつけた。好物の八つ橋を差し入れる父について「ファンのようになっている」と大橋。会場に両親の姿を見つけると安心した。

 試練が訪れたのは東洋大進学後。体が重い。タイムが伸びず、日本選手権は予選で40人中最下位。体調不良の原因が分からないまま時間だけが過ぎた。競技を辞めることも考えた大学2年の秋。帰省中に地元の病院でたまたま血液検査し、極度の貧血と判明した。

 これを機に体質改善に取り組んだ。献身的に支えたのは母・加奈枝。アサリやひじき、切り干し大根など鉄分が多い食材や手料理を冷凍して都内の大学寮に送り、時には下宿先を訪ねて作り置きした。忍も「焦らなくていい」と励まし、寄り添った。迎えた大学4年、親子の努力が実を結ぶ。大橋がメドレー2種目で日本新記録を樹立した。

 楽しんで-。両親がいつも娘にかける言葉だ。大橋は「緊張したり、苦しんだりしている時でもそう言ってくれることが大きい」と誰よりも温かいエールに感謝を忘れない。忍は「普通なら見られない世界で頑張っている。親としてこんなにうれしいことはない」と響き合う。

 家族の夢がかなった夜。父は娘にLINEで送り返した。「よくやったよ」=敬称略

◇小学生の頃の大橋選手を指導した奥谷直史さん(堅田イトマンスポーツクラブ所長)は、五輪開幕前の取材にこう印象を語っていた。

-水泳を始めた頃の大橋の印象は

 「がむしゃらに泳ぐ小学生が多い中、しっかり水をつかんで最後までかいていた。今に通じる大きな泳ぎに将来性を感じた」

-当時、練習でこだわった部分は

 「腕が細く弱かったので、個人メドレーの4種目すべてでキックを強化した。(抵抗が少ない)真っすぐな姿勢を保って泳ぐ練習は高校3年まで続けた。見た目以上に苦しく根気がいるが、大橋は手を抜かずに取り組んでいた」

-思い出に残る試合は

 「高校時代、ワールドカップの制限タイムを短水路で切るため、地元の大会に出て一発で決めた。集中力と爆発力に感心した。初めてインターナショナルのタイム(日本水連の強化標準記録)を切った3年の夏のジュニアオリンピックも印象深い」

-草津東高卒業後、成長を感じる部分は

 「水泳を楽しみながら自分のペースで無理せず前進していると思う。貧血やけがで苦しんだ時期を乗り越え、気持ちの面が強くなっているのは確かだ」

-五輪を前に届けたい思いは

 「練習や大会で笑って帰る、というのが指導方針の一つ。結果は当日の体調などいろいろな要因がある。元気に笑顔で帰ってきてほしいというのが一番の願いかな」