東京オリンピックが17日間の日程を終え、閉幕した。

 大会は、新型コロナウイルスの世界的流行により、五輪史上初めて1年延期された。ただ、日本国内の感染はさらに広がり、開催都市・東京に緊急事態宣言が出された下で「強行」された。

 感染拡大への不安に、相次ぐ大会組織委員会の不祥事も重なった。57年ぶりの東京大会という祝祭ムードは冷め、国民の間で開催への賛否が最後まで分断されたままだったのは否めない。

 感染対策のため、開閉会式をはじめ、ほとんどの競技が無観客という異例の大会だった。

 困難な環境と複雑な思いを抱えつつ、出場にたどりついたアスリートたちは鍛えた力と技でベストを尽くした。その姿が多くの人の心に刻まれたのは確かだろう。

 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、閉幕前の総会で「大会は成功した」と強調した。

 選手・関係者内の感染をある程度抑え、全日程を消化できたことで競技大会としては成立した。

 だが、外部と隔絶し、五輪憲章がうたう「友情、連帯」とかけ離れた形で断行した五輪の意義とは何だったのか。改めて問い直さなければなるまい。

 バブルにほころびも

 東京五輪は「無事」に終わったわけでない。

 組織委によると、7月1日以降、新型コロナ検査による関係者の陽性判明は選手村から33人、大会関連の総数で436人に上る。外部から遮断する「バブル方式」のほころびが相次ぎ顕在化した。

 選手村でもギリシャ選手ら5人のクラスター(感染者集団)が発生し、チーム種目などを欠場した。他にも陽性判明で隔離され、直前に棄権する事例もあった。

 観光目的で外出するなど、大会規則集に違反したとして30人以上が参加資格証の剥奪や一時効力停止、厳重注意の処分を受けた。

 ただ、組織委はプライバシーなどを理由に陽性判明者の詳細や、規定違反の内容、処分基準を開示していない。バブル内外の感染不安は払拭できただろうか。

 24日開幕予定のパラリンピックで、基礎疾患を抱える選手の重症化リスクは高い。より万全の環境を整えることが必須条件だ。

 理念と意義を示せず

 五輪期間中、首都圏を中心に新規感染者が過去最多を連日更新した。国内全体では約3倍に急増し、医療逼迫(ひっぱく)への懸念が高まった。

 IOCや組織委は、バブル方式が機能していて「因果関係は示されてない」とし、菅義偉首相も大部分を無観客として「人流は減少傾向にある」と繰り返す。

 だが、過去の宣言時より人出の減少幅の鈍さが指摘されている。政府対策分科会の尾身茂会長も「(五輪開催で)危機感が伝わりにくい状況」と認める。

 国民に営業制限や外出自粛を求めながら、五輪開催の無理を通した不公平感が、対策意識の緩みを助長したのは明らかだろう。

 その根本には、何のための五輪なのか、政府が理念と意義を十分に示せなかったことがある。

 招致時に掲げた「復興五輪」はかすみ、「コロナとの闘い」「世界の団結」と変遷した。理念に一貫性を欠き、「多様性と調和」を掲げながら組織委幹部らの人権意識の低さをさらけ出した。

 開催費は招致計画時の2倍強の1兆6千億円超に膨張。無観客でチケット収入の大半が消え、大幅赤字の穴埋めが避けられない。大会後の利用計画が決まっていない国立競技場などの施設も「負の遺産」となりかねない。巨額の血税を注いだ大会開催を誰がどのように判断したのか、経緯と責任を明確にする必要がある。

 五輪そのものの精神も揺らいだ。IOCはコロナ流行下でも開催を譲らない強硬な姿勢を続け、国民感情を軽視した幹部の言動で反感を招いた。広島、福島を訪れたバッハ氏の平和や復興のポーズも浅薄さが透けた。

 多様性には広がりも

 高額な放送権料を支払う北米のテレビ局に配慮した真夏の開催など商業主義は目に余る。猛暑に選手が悲鳴を上げ、急きょ時間変更する不手際もあった。選手や開催地に負担を押し付けるのでは五輪継続を危うくすることをIOCは肝に銘じるべきだ。

 一方、厳しい状況の中でも、女性参加者が増え、初のトランスジェンダー競技者や、複数のルーツを持つ選手らの活躍で、多様性の広がりを印象づけた。

 人種差別への抗議のため片膝をつくポーズをはじめ、さまざまな差別や抑圧に対する抗議を示す動きが目立った。「あらゆる差別反対」を掲げるIOCが政治的、人種的な宣伝活動を禁じる規制を一部緩和した面もあるが、選手個人による自発的な発信として注目されよう。

 国同士の競争心を背景にした重圧に苦しみ、SNS(会員制交流サイト)での激しい中傷に悩む選手の実態も浮かび上がった。いかに選手たちの心身の健康を守り、サポートしていくか。各競技団体や指導者、ファンらも考えていく必要があろう。