最初の米国留学で日本から持参したテニスのラケットを手にしていた、と出迎えの人に笑われたという。92歳で亡くなった緒方貞子さんの回顧録にある。お嬢さんらしいエピソードと思ったが、続きを読んでみると違った▼留学時のような<フットワークの軽さ>で国際社会の仕事についたが、<えらいところに来てしまった>。しかし、仕事を始めるとファイトが湧き、問題解決に挑み、次第に天職のように-と続く緒方さんの自画像だ▼1991年から10年間、国連難民高等弁務官としてイラクやユーゴスラビアなどの難民キャンプを駆け回った。テニスラケットではなく、重さ15キロの防弾チョッキを装着し、砲弾が飛び交う紛争地に乗り込むフットワークだ▼<危機に身をさらすことで理解を深めた>という難民問題。ルールに反するとの議論の中、国内外を問わず難民を支援した決断は、強い信念と状況に応じた現場主義からだろう▼緒方さんを支えた「人間の安全保障」の理念は、誰一人取り残さない「持続可能な開発目標(SDGs)」に発展したが、世界の難民は増えている。日本の国際貢献はどうなのか▼難民問題は人間の倫理観や国家の道義を問うている、と緒方さんは語っている。後に続く人がもっと出てきてほしいと願っていたに違いない。