新年度が始まった。出会いが多く生まれる季節だ。素顔の自分を知ってほしいと思う一方、自分がどんな「キャラ」に見られるか、気をもむ人もいるだろうか▼人だけでなく、動物も植物も特定のイメージで語られることは多い。だが安易なレッテル貼りは、多様な持ち味への柔軟な想像力を奪いもする▼桜だよりが連日届く。春を染める花が持つイメージは、考えてみればとても多様だ。華やぎ、はかなさ、潔さ、清楚(せいそ)、妖艶(ようえん)、門出、死…。女性的であり男性的でもある。そんな「キャラ」の豊かさが無二の魅力となり、古来日本人の心をつかんできた▼翻って人間である。本当の自分とは何か。役割の演じ分けはいけないのか。作家の平野啓一郎さんは「個人の中には、対人関係や場所ごとに自然と生じる様々(さまざま)な自分がいる」と、個人主義ならぬ「分人主義」を提唱する▼会社や学校でうまくいかないとしても、自らの全人格的な問題と考えるべきではない。「不本意な自分」を受け入れつつ、別の「自分」を大事にすればいいと▼とかく礼賛されるソメイヨシノも、宮沢賢治は「何だか蛙(かえる)の卵のような気がする」と表した。嗜好(しこう)や相性は人により、さまざま。唯一本当の「あなた」も、偽りの「わたし」もない。桜に酔ったせいか、そんなことを考えてみた。