新元号が「令和(れいわ)」に決まった。

 出典は現存する日本最古の歌集「万葉集」で、梅花の歌32首が収められた部分の序文である。文中の「令月」には「万事をなすのに良い月」の意味があるという。初春の穏やかな雰囲気が伝わる。

 国民の理想にふさわしい意味を持ち、書きやすく、読みやすい-といった元号選定の基準をおおむね満たしているのではないか。

 中国の古典でなく国書(日本古典)からの採用は、確認できる限り初めてだという。その意味では異色の元号といえるだろう。

 「令和」は645年の「大化」以来248番目の元号となる。

 31年続いた「平成」は今月末で幕を閉じ、5月1日の新天皇即位と同日に新元号がスタートする。

 改元で世の中の仕組みが大きく変わるわけではない。だが、元号は時代の区切りを示すものとして国民に広く定着している。

 「令和」がこれからの時代を映す年号として親しまれるかどうかは、私たちがどんな社会を築いていけるかにかかっている。そのことを心に刻んでおきたい。

 ■議論なき「前例踏襲」

 今回の改元は、天皇陛下の退位に伴うものだ。明治期に天皇一代に一つの元号とする「一世一元」となって以降、皇位継承前に元号が改められるのは前例がない。

 新元号が事前に公表されたのも異例だ。コンピューターシステムの改修など経済活動への影響に配慮したのは当然といえよう。

 元号と天皇の関わりは深い。改元を巡っては、新天皇即位前の新元号公表に批判の声があった。一方で、元号の必要性に疑問を示す意見もみられた。

 だが、事前公表は、一般には自然に受けとめられたようだ。天皇逝去によらない改元という理由もあろうが、それ以上に、国民とともに歩んできた象徴天皇についての理解が成熟してきた証左といえるのではないか。

 新元号制定は、平成になった時と同様、元号法に基づく。同法は元号を「政令で定める」としている。政令を出す政府がその責任を負っている。

 きのうの決定手続きも、形式的には有識者懇談会や衆参両院議長からの意見聴取、閣議などを経た。国会に代表を送っている国民も間接的に関わっている形だ。

 ただ、現実には、国民から遠いところで決められたような印象を受ける。今回は皇位継承が事前に分かっており、改元のあり方についても時間をかけて議論できる良い機会だったはずだ。しかし政府は、平成改元時の決定手続きを踏襲すると決めてしまった。

 有識者懇談会では、新元号の候補名が初めて示され、わずか40分で終了した。十分な意見交換ができたのかは疑わしい。国民代表の「お墨付き」を得るのが目的ととられても仕方ない。

 新元号が「広く国民に受け入れられ、生活の中に深く根ざしていく」(安倍晋三首相)ことを求めるのなら、選考のプロセスに国民が実質的に関わる機会があっても良かったのではないか。

 ■ずれ込んだ公表時期

 平成改元時の過程を記した公文書の公開が延期されたのも見過ごせない。内閣府は選考過程に関する文書の大半を非公開とした。その理由を「行政機関内部の率直な意見交換、意思決定の中立性が不当に影響を受ける」とした。

 これでは、平成改元がどう進められたか検証できない。

 当時を知る元官僚からは、平成以外の候補もあったが最終段階で平成に決まるよう「誘導」したとの証言も出ている。

 本命以外の候補が不採用となった理由や経緯を国民が共有することは、将来、改元の必要性が生じた際に判断の助けとなるに違いない。適切な情報公開は、元号制度を維持する上でも重要だ。意見交換の率直さや中立的な意思決定を損なうものではないはずだ。

 事前公表はされたが、その時期が当初の想定から大きく遅れたことも苦い教訓とすべきだ。

 政府は当初、準備期間を十分確保するため、2018年夏ごろの公表を想定していた。

 だが、新元号の公表や公布は新天皇の即位後とすべきなどと主張する保守派の強い働きかけで、公表時期は後ろにずれ込んだ。

 ■西暦併記の自治体も

 経済活動などへの影響とは別の次元で公表時期が調整されたことは、「国民生活に支障が生じることがないようにする」とした退位特例法の付帯決議を危うくしかねない問題だったのではないか。

 元号制度の存続を支持する人は多い。ただ、実際の生活では西暦と使い分けているのが現実だ。共同通信が1月に行った世論調査では、普段の生活で主に使いたいのが元号は24%、西暦が34%、元号と西暦の両方が39%だった。

 元号と西暦は換算が煩わしいとの声もある。外国人を含め日本で暮らす人たちに不便さを感じさせるようでは、親しめる元号にはなりえない。官公庁の公文書は元号表記が慣行となっているが、改元を機に西暦を併記する自治体が増える兆しがあるのは歓迎したい。