京都大の戦後の歩みを見つめてきたが、取り壊されることとなった花谷会館(8月16日、京都市左京区・京都大)

京都大の戦後の歩みを見つめてきたが、取り壊されることとなった花谷会館(8月16日、京都市左京区・京都大)

 京都大(京都市左京区)の正門横にある「花谷会館」が取り壊されることになった。会館は、原爆を落とされた広島の調査中に台風に遭って亡くなった大学院生花谷暉一さんの遺族が、終戦後間もない時期に寄贈した。京大の「戦後」の記憶をとどめる建物だけに、保存を求める声も上がっていた。京大は「跡地の利用方法は未定」としている。

 会館は1947年築とみられ、京大によると木造2階建て延べ約92平方メートル。当初は喫茶店が入り、その後は京大生協本部が事務所に利用するなどしたが、耐震基準を満たさず2016年に移転。その後、空き家となった。

 花谷さんは旧制三高から京都帝国大理学部に進学後、原子核物理学の第一人者、荒勝文策教授の下で研究に励んだ。広島への原爆投下直後の1945年8月10日に荒勝教授らと現地へ出向いて調査に入り、土壌を採集。京都に持ち帰って分析し、爆弾を「原爆」と断定するのに大きな役割を果たした。広島で再調査に当たっていた同年9月、「昭和三大台風」の一つとされる枕崎台風の山津波に襲われ、研究者仲間とともに24歳で亡くなった。

 会館は兄の正明さんが「弟の霊がとどまるこの地で、学生の福利厚生の一助に」と寄贈。正門横という立地もあって、キャンパスを出入りする学生や教職員の目に触れてきた。解体工事は9月30日までに終える予定という。