那覇市の首里城で大規模火災が発生し、主要施設の正殿と北殿、南殿が全焼するなど、計7棟を焼失した。

 首里城は琉球王国(1429~1879年)の政治・文化の中心だった。太平洋戦争末期の沖縄戦で全焼した後、約半世紀を経て再建された。焼失した建物の地下にある城跡を含めた「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は、世界遺産に登録されている。

 「沖縄のシンボル」であり、世界に誇る宝が火に包まれた。沖縄県民の落胆は察するに余りある。なぜこれほどの大惨事になったのか、原因の究明が求められる。

 貴重な文化財や歴史的建造物が失われる火災は、これまでにも国内外でたびたび発生してきた。

 日本では1949年に奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、国宝の壁画の大部分を失った。翌年には京都市の金閣寺が放火で焼失している。

 これらの火災を教訓に、50年には文化財保護法が制定された。55年には法隆寺金堂火災が起きた1月26日を「文化財防火デー」と定め、毎年、全国で防火訓練などが行われている。

 それでも火災の被害は依然として続いている。フランス・パリでは今年4月、世界遺産のノートルダム寺院で大火災が起きている。

 首里城の主要建物は、琉球王国当時の姿を可能な限り再現し、木造で復元された。屋内にスプリンクラーがなかったが、消防法上の設置義務はなかったという。

 京都、滋賀をはじめ国内にある歴史的建造物も、大半は木造だ。木造建築物のリスクを改めて認識する必要があるだろう。

 首里城火災が深夜に起きていることにも留意すべきだ。

 文化庁がノートルダム寺院の火災後、文化財の所有者に行った緊急調査によると、夜間の火災に対応できる人数が「2人未満」とする回答が、世界遺産と国宝の建物で8・3%、重要文化財では35・4%に上った。夜間の管理体制のあり方も再点検すべきではないか。

 同庁は防火設備の新設や更新に対する支援だけでなく、初期消火や通報など初動を担う人をどう確保していくかについても、文化財所有者や地元自治体とともに知恵を絞ってほしい。

 文化財の被害は地域の歴史や文化にとって大きな損失であるばかりか、観光関連産業など地元経済にも多大な影響をもたらす。首里城の惨事から教訓を学び、生かさなければならない。