東京パラリンピックを終え、ふるさとの綾部市役所を訪問した長谷部さん(9日、綾部市若竹町)

東京パラリンピックを終え、ふるさとの綾部市役所を訪問した長谷部さん(9日、綾部市若竹町)

 日本勢の躍進で幕を閉じた東京パラリンピック。京都府綾部市出身の長谷部匠さん(24)=京都市下京区=は、全盲のランナー和田伸也選手(44)の伴走を務め、陸上男子のトラック種目で2個のメダル獲得に貢献した。綾部市役所を訪問した長谷部さんは伴走の喜びを語り、栄光を糧にさらなる飛躍を誓った。

 長谷部さんは綾部市舘町出身。中学生までは野球少年だったが、綾部高では「丸刈りが嫌だった」と陸上部に転身した。当時指導した川端学さん(58)=東舞鶴高教諭=は、「まじめにこつこつと頑張れる子。1学年上に川端千都(SGホールディングス)もいて、先輩みたいに強くなろうとしていた」。5000メートルや3000メートル障害に打ち込み、近畿大会にも出場した。

 高校後半は伸び悩んだ。大学からの誘いもあったが、引退して就職すると決断。2014年の全日本びわ湖クロスカントリー大会では、男子ジュニア5キロで初優勝した。当時、取材に「今日で引退なので、勝てて良かった」と語っていた。

 だが社会人1年目、「走っていないと何か物足りない」と感じた。練習せずに出場した福知山マラソンでは、3時間半と走力が落ちていた。個人で練習を重ね、寺山(上野町)を走ったり、市町村対抗の府民駅伝に参加したり。「早朝から高校のグラウンドに来て走っていた」(川端学さん)。マラソンの自己ベストは2時間22分台まで伸びた。

 出走を重ねるうち、速い伴走者を探していた和田選手を紹介された。「最初は不安だった。トイレの付き添いで、がちがちになりながら誘導した」。練習でも「僕の方が引っ張られていた」が、だんだんとのめり込んだ。「まずは安全に走ることが大事。結果が出れば、2倍のうれしさがある」と面白さを感じるようになった。

 伴走を機に19年、京都市内へ転居、転職し、週2~3回の練習で息を合わせていった。パラリンピックの1年延期も、「和田さんは『もっと強くなれる』とポジティブで、僕も感化されて切り替えられた」。今では「ロープでも、心でもつながっている」と固い絆を誇る。

 東京パラリンピックは初の国際大会だった。最大の見せ場となった視覚障害T11の1500メートルでは、猛追を振り切り銀メダルに輝いた。「『来てる来てる』と伝えた。和田さんには、足音は聞こえてもどこまで来ているか分からない。『5メートル、3メートル』と言い続けた」。和田選手から「何も言うことのないレースだった」とガイドぶりを褒められたという。

 視線はすでに次のレースへ。「来年神戸で開かれる世界パラ陸上、そして3年後のパリ大会を一緒に目指す。一競技者としても、和田選手に負けないようにしたい」。20歳年上のメダリストに刺激を受け、自らも成長を誓った。