京都市内の「鴨」「賀茂」「加茂」の使われ方

京都市内の「鴨」「賀茂」「加茂」の使われ方

国土地理院の2万5千分の1地形図は、高野川合流点より上流も「鴨川」と表記されている

国土地理院の2万5千分の1地形図は、高野川合流点より上流も「鴨川」と表記されている

かなり上流の庄田橋でも「鴨川」の銘板がある(京都市北区)

かなり上流の庄田橋でも「鴨川」の銘板がある(京都市北区)

上賀茂神社近くの御薗橋は「賀茂川」となっている(京都市北区)

上賀茂神社近くの御薗橋は「賀茂川」となっている(京都市北区)

上賀茂橋近くの看板は、京都人に配慮するかのように「鴨川(賀茂川)」と並記されていた(京都市北区)

上賀茂橋近くの看板は、京都人に配慮するかのように「鴨川(賀茂川)」と並記されていた(京都市北区)

 「記事に鴨川とありますが、葵橋付近は『鴨川』ではなく『賀茂川』です。庄田橋付近も『鴨川』ではなく『賀茂川』です。記者の方は京都人ではないのでしょうか」。京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」のLINEに、読者から厳しい指摘が寄せられた。確かに「鴨川」と「賀茂川」の使い分けは存在し、「加茂川」という表記もある。いったい、どうやって使い分けるのが適切なのか。地名の謎の「源流」を探ってみた。

■京都市民感覚は、高野川との合流点で変わるけど…

 「かもがわ」は、京都市北区の山間部を源流とし、桂川との合流点まで長さ約30キロに及ぶ淀川水系の支流だ。多くの京都市民は、慣習的に、最大の支流である高野川との合流点より上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と捉えてきた。

 たとえば、上流には「賀茂川漁協」や「賀茂病院」「賀茂なすの産地」がある一方、下流では先斗町の名物「鴨川をどり」や「京阪鴨東線」「鴨沂高」に「鴨」の字が使われる。

 上流にある世界遺産の賀茂別雷神社(北区)は通称「上賀茂神社」で、一帯は「上賀茂地区」だ。下流にあるのは賀茂御祖神社(左京区)で、通称「下鴨神社」(左京区)。一帯は「下鴨地区」だ。

 合流点できっちり線が引かれているわけではないが、ある程度の使い分けは定着している。

 しかし、読者が指摘するように、京都新聞社は合流点より上流も「鴨川」と表記している。なぜ、地元紙なのに「賀茂川」を使わないのか。実は、京都市北区出身の私も、記事で使い分けたらデスクに直され、疑問を感じていた。

■京都新聞や国土地理院は全部「鴨川」に統一

 記事の表記をつかさどる編集局の用語監事に聞いてみると、「国土地理院が発行する地形図の表記に基づき、『鴨川』で統一しています」との回答だった。

 確かに、国土地理院の2万5千分の1地形図を見ると、合流点より上流も含めて「鴨川」となっている。

 国土地理院によると、1925(大正14)年発行の2万5千分の1地形図も、表記は上流を含め「鴨川」だ。当時、参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)が、京都市の意向を踏まえ「鴨川」にしたとされ、現在も引き継がれているという。国土地理院は「複数の表記がある川は、地元自治体の意向を聞き取り、地図に反映する」という。

 また、河川の管理や治水について定めた「河川法」でも、ほぼ全流域が「鴨川」とされている。京都府が2008年に施行した「鴨川条例」も「鴨川」で統一している。

■「賀茂川」も「鴨川」も1000年以上の歴史が

 そもそも、なぜこうした使い分けが存在するのか。京都地名研究会事務局長の入江成治・京都精華大特任教授(63)=左京区下鴨出身=に聞いてみた。

 「かもがわ」の地名の由来は、流域に豪族の「賀茂氏」が居住していたという説や、上流の意味の「上(かみ)」、もしくは神の川の「神」が転じたとする説などがあるという。

 「賀茂川」の表記が、古文書に初登場するのは8世紀初めの奈良時代。山城国風土記に記される。一方の「鴨川」は9世紀初め、平安時代の「日本紀略」に登場する。ただ、どちらの表記の方が古いかは不明。山城国風土記には「可茂川」の表記まであるという。