八幡宮が保存していた「山城」の写真

八幡宮が保存していた「山城」の写真

戦艦「山城」と「扶桑」の慰霊顕彰祭(京都府八幡市・石清水八幡宮)

戦艦「山城」と「扶桑」の慰霊顕彰祭(京都府八幡市・石清水八幡宮)

 軍艦内の神社「艦内神社」に京都府八幡市の石清水八幡宮から分霊を受けた旧日本海軍の戦艦「山城」と「扶桑(ふそう)」の慰霊顕彰祭がこのほど、同八幡宮で営まれた。両艦がレイテ沖海戦で沈没して今年で75年。参列者が戦没者を追悼し、当時世界最大だった両艦を国産初として建造した先人らの功績をたたえた。


 艦内神社は、艦名にちなんだ神社の祭神を祭ることが多かった。戦艦「大和」は奈良県天理市の大和神社、巡洋艦「愛宕」は京都市右京区の愛宕神社から分霊されていた。
 旧国名から名付けられた山城は、各地で艦内神社を調査した大阪観光大専任講師の久野潤さん(39)が八幡宮に確認を依頼し、同型艦の扶桑とともに分霊されていたことが社務日誌から判明。山城起工100周年の2013年に奉告祭を行い、以後毎年、元乗組員らを招いて慰霊顕彰祭を開いてきた。
 1日は、久野さんが会長を務める帝国海軍軍艦慰霊顕彰会の会員ら17人が参列した。歌手が「ふるさと」などを奉唱し、両艦や戦没者の顕彰と慰霊の思いを込めて祭文が読み上げられた。
 久野さんは「分けてもらった八幡さんが、明日の命もしれない将兵の心の支えとなった」と艦内神社の意義を指摘。「国を軍が、軍を神々が、神々を地域の人が守るという他国にはない関係で日本の国防はなりたっていたことも知ってほしい」と話していた。