新型コロナウイルスの感染拡大で膨大になった業務の影響で心身に不調を来たし退職した京都市の元保健師(京都市内)

新型コロナウイルスの感染拡大で膨大になった業務の影響で心身に不調を来たし退職した京都市の元保健師(京都市内)

 相次ぐ新型コロナウイルスの感染拡大で保健所の業務が逼迫(ひっぱく)を繰り返す中、今年3月末に京都市保健所を退職した保健師の女性が、京都新聞社の取材に応じた。感染が拡大する度に業務量が膨れあがり、昼食を食べる時間もなく帰宅できるのは未明の日々。何でもないときに涙が出るなど心身の不調を来して「もう、限界」と感じ、職場を去る決断を余儀なくされた。

 女性は昨年4月、京都府に初の緊急事態宣言が発令された当初から専任で新型コロナの対応に当たってきた。新規感染者の疫学調査や医療機関からの書類の確認、自宅療養者への健康観察など、あらゆる業務と事務作業を担った。区役所などから応援に入る保健師の指導も若手ながら任されたが、何とかやり通して夏場の第2波を乗り越えた。

 しかし、同12月~今年1月の第3波の到来で、限界を感じた。連日100人前後の新規感染者が発生していた。当時の市保健所の態勢は、大量動員された現在の第5波と比べて3割程度の約80人だった。このうちコロナ専任だった約20人の保健師には過重な業務量がのしかかかった。女性もその1人だ。

 当時、市内の自宅療養者は700~800人にも上り、健康観察を担う保健師たちは体温や呼吸器の状態などに異変があるかどうか確認に追われた。女性は結果を深夜に一つ一つ確認し、翌日に電話をかける順番を整理した。特に注意を払ったのは入院待機者のリスト化だ。「もし書類の山に埋もれ、健康観察ができなかったり、入院待機の優先度を間違えたりすると、命に直結する。相当なプレッシャーだった」と打ち明ける。

 感染者からの電話にすぐに出られないほど多忙を極めた現場。入院を要望されても病床逼迫(ひっぱく)で応じられず、感染者から「死んだら呪ってやる」など心ない言葉も浴びた。「入院につなげて救いたい一心だったが、自分が何もできない無力感にさいなまれた」と表情を曇らせた。

 勤務を終えるのは連日午前3時~午前4時。昼食を夕方に食べられたら良い方で、午前0時に口にしたこともあった。午前6時まで働き続けて、帰宅せずにそのまま翌日の業務に就いたこともあったという。「ストレスから職場で突然、涙が止まらなくなり、トイレに駆け込んだこともあった」

 学生時代の病院実習で「人々が病気になる前から健康を支えたい」と感じ、公衆衛生の道を志して入庁した。しかし、コロナ禍の残業は毎月100時間を超え、月200時間を超過することも。不眠や無気力など女性の状態に異変を感じた家族の説得もあり辞表を出した。少ない人員で過酷な業務量に臨んだ日々を振り返り、「捨て駒にされた思いだった」とうなだれる。

 女性は今いる保健師のために「人間らしく働ける職場になってほしい」と切に願う。そして「145万人規模の都市で保健所が一つだけというのも、市民の健康を守る上で無理がある」と実感を込めて語った。