「京都の活動屋として、チャンバラや時代劇を伝えていくことが、先輩たちに対する我々の義務」と語る中島貞夫監督(京都市中京区の自宅)

「京都の活動屋として、チャンバラや時代劇を伝えていくことが、先輩たちに対する我々の義務」と語る中島貞夫監督(京都市中京区の自宅)

太秦の映画村での撮影風景。高良(中央)の演技に中島監督(左)らが助言をおくる

太秦の映画村での撮影風景。高良(中央)の演技に中島監督(左)らが助言をおくる

刀の重みの伝わる殺陣にこだわった「多十郎殉愛記」の一場面。高良健吾が主役の多十郎を演じる

刀の重みの伝わる殺陣にこだわった「多十郎殉愛記」の一場面。高良健吾が主役の多十郎を演じる

 「生きるか、死ぬかのチャンバラを作りたかったんだよ」―。太秦の東映京都撮影所を拠点に、多種多様な娯楽作を生んできた中島貞夫監督(84)が、20年ぶりとなる劇映画「多十郎殉愛記(たじゅうろうじゅんあいき)」を撮った。12日から全国公開される。高良(こうら)健吾(31)演じる夢も大義もない浪士が幕末の京を舞台に、命を懸けた戦いへと追い詰められる。極限の殺陣(たて)の中、にじむ情念…。刀の重みの伝わる時代劇に仕上がった。=敬称略

■京都発の時代劇 20年研ぎ澄まし

 20年間、時代劇への思いを研ぎ澄ましてきた。「極道の妻(おんな)たち 決着(けじめ)」(1998年)以来の劇映画。その間、KBS京都のテレビ番組「中島貞夫の邦画指定席」での案内役や京都国際映画祭の名誉実行委員長を担い、「京都の活動屋」として京都の映画史を誰よりも考え、伝えてきた。殺陣の魅力に迫ったドキュメンタリー映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」(2015年)も監督として手掛けた。根底にあったのは、画一化された時代劇への危機感だった。

 チャンバラ映画は戦前、すべて京都で撮られ、もっと多様だったんだよ。日本刀の持つ得体の知れない不気味さ、凄(すご)みが根底にあってね。それが終戦後、アメリカからストップを食らった。西部劇のようなドラマツルギー(作劇法)が主流になって、ヒーローがインディアンを撃ち殺すように、正義が悪を斬(き)る勧善懲悪が基本になっちゃった。水戸黄門や遠山の金さんもだけど、権力側が最初から勝つと分かると飽きちゃうよね。

 中島監督は、時代劇ばかりを撮ってきたわけではない。高度経済成長期の京都を舞台に、“ネチョネチョ”生きるチンピラを描いた松方弘樹主演「893愚連隊(やくざぐれんたい)」(1966年)は、時代劇一色だった東映京都で史上初となる現代劇を切り開いた。京都のまちを路線バスジャック犯が疾走する渡瀬恒彦主演「狂った野獣」(76年)など、社会の底辺でのたうち回る鬱屈(うっくつ)した若者像を時代に即して発信してきた。なぜ今、時代劇なのか。

 われわれ年寄りには、現代劇の最先端の感覚は、もう出せない。やはり若い奴が今を見た方がはるかに面白い映画を作ると思う。ただ、時代劇は、そう簡単に作れねえぞと。助監督時代からチャンバラとは何だと本気で考え、悪を斬るだけへの批判も持っていたからできる映画を撮りたかった。大抵の時代劇を見たけど、チャンバラの本質は、命を賭けて戦うこと。伊藤大輔監督の「長恨(ちょうこん)」(26年)に象徴されるようなね。その魅力を取り戻さないと先人に顔向けできない。

 「多十郎―」は監督自ら脚本を手掛けた。長州藩を脱藩して京に移り住みながらも、幕末の志士のように疾走するわけでなく、自堕落な日々を長屋で送る多十郎。何のために刀を抜くのか分からなかった男が、剣の腕があるゆえに京都見廻(みまわり)組に追われる身となる。本当に追い詰められた時、初めて大切なものを悟るが…。

 人間って恵まれていたら、いくらでも装える。極限になって初めて人間性が出る。やくざ映画でも、やくざ自体が面白いわけでなく、追い詰められた時、もろに人間性が出るから面白い。真っすぐなヒーローでなく、屈折のある人間の本質を描きたかった。

 撮影現場では刀の重みや刃こぼれなどリアルさにこだわった。百人近い捕り手との大立ち回りから、一対一の真剣勝負まで、終盤、怒濤(どとう)のチャンバラが続く。

 立ち回りそのものは殺伐としていても、その根底には人間の愛や心といったリリシズム(叙情性)があるって(映画評論家の)蓮實(はすみ)重彦が言ってくれた。なぜ、多十郎が刀を抜くのか。人それぞれドラマを感じてもらえれば、リリシズムの世界に入っていくみたい。そんなものは計算しても出るもんじゃねいけどね。

 ほかに出演は多部未華子(30)、木村了(30)、寺島進(55)ら。福本清三(76)ら東映剣会の面々も活躍する。大阪芸術大で中島監督から映画作りを学んだ熊切和嘉監督(44)が補佐に就くなど、中島監督を慕うスタッフが集まった。

 時代劇の素材は、まだまだ無限にあるけど、「多十郎―」で客が入らなければ、わが監督人生はおしまい。ただ、熊切も時代劇を作りたくなったみたいだし、時代劇を撮れる監督は育っている。東京から京都に来て、映画で60年も食ってきた身としては、京都がはぐくんだ高度なパフォーマンス芸術であるチャンバラの面白さは、ヨロヨロになっても伝えていきたい。

 「多十郎―」は、京滋ではT・ジョイ京都、MOVIX京都、イオンシネマ京都桂川、イオンシネマ近江八幡で公開される。

■太秦拠点に京都・滋賀で撮影 幕末の寂れ求め

 「多十郎殉愛記」は、京都と滋賀で100%撮影した。太秦の東映京都撮影所や映画村を拠点に、嵯峨の竹林や清凉寺、大覚寺、梅宮大社など右京区一帯や上賀茂神社(北区)、隨心院(山科区)、瓦屋禅寺(かわらやぜんじ)(東近江市)などでロケをした。

 中島監督自ら撮影に適したロケ地を求めて歩き回り、「仁和寺の土塀や、高雄から清滝にかけての谷道など雰囲気のある絵が撮れた」と自負する。

 ただ、近年は「観光ブームもあって、京都の社寺がどんどん奇麗になりすぎて、幕末の寂れた感じを出すのに苦労した」とも語る。

 もともと時代劇は「江戸が舞台の捕物帖(とりものちょう)でも、すべて京都で撮ってきた」。現代劇でも、広島やくざの抗争を描いた「仁義なき戦い」(1973年)や中島監督の「沖縄やくざ戦争」(76年)が実は太秦を拠点に京都で大半が撮られているように、京都の風景を他の土地に見立てるのは「京都の映画界の誇る技。そんな見立ての伝統も次の世代に伝えたい」。

●なかじま・さだお 1934(昭和9)年、千葉県生まれ。東京大文学部卒。59年に東映入社。京都撮影所に配属となり、マキノ雅弘や沢島忠らのもとで助監督としての経験を積み、64年、女忍者ものの時代劇「くノ一忍法」で監督デビュー。新作「多十郎-」を含めて計63本の監督作がある。「木枯し紋次郎」(72年)や「真田幸村の謀略」(79年)など太秦ならではの時代劇はもちろん、「沖縄やくざ戦争」(76年)や「日本の首領」(77~78年)シリーズなどの実録やくざ映画、文芸大作「序の舞」(84年)など、幅広い作品を手掛けた。87~2008年まで大阪芸術大映像学科で学生を指導し、11年からは立命館大映像学部の客員教授。1997年から京都映画祭総合プロデューサーも務めた。2006年に牧野省三賞、京都市からは昨年「京都映画大賞」を贈られた。