国会や国会議員は何のために存在するのか。その意味を改めて考えざるを得ない。

 衆院解散の日まで、わずか11日間の臨時国会は、岸田文雄首相の選出と所信表明、代表質問を行うにとどまった。

 国会は6月に通常国会が終了してから4カ月近く開かれなかった。閉会中審査はあったが、実質的な審議はしていない。

 この間、新型コロナウイルス感染が急拡大し、都市圏の医療は崩壊寸前に陥った。

 政府が進めるコロナ対応が適切かどうかを監視し、感染抑止のための方策を法律にまとめ上げる-。国会がなすべきことは数多くあったはずだ。

 国権の最高機関が国民の生命や健康の危機を座視していたかのようだ。これでは立法府の責任放棄と言われても仕方ない。

 なぜ、こんな状況が生まれたのか。要因は、政権党トップである首相に権力が集中していることと無関係ではないだろう。

 衆院の小選挙区制では、党の公認を得られるかどうかが当落を左右するため、公認権限を握る党首には逆らえなくなる。

 強大な行政権を持つ首相が選挙で勝利し続ければ、圧倒的多数を占める党国会議員を通じて立法府まで支配する形となる。

 「1強」体制の下で、政府に対する国会の監視機能は形骸化した。安倍晋三、菅義偉両政権では、国会をないがしろにするような言動が目に付いた。

 疑惑を追及されるとはぐらかしや言い逃れで審議時間を空費させ、重要法案の審議では課題を残したまま数の力で採決を強行した。国会が議論の場ではなく、行政府の追認機関になってしまったように思わせた。
 野党が憲法の規定を根拠に国会召集を要求したのに、無視を続けたのも国会軽視の表れだ。
 見過ごせないのは、こうした政権の姿勢に対して、与党の国会議員が声を上げないことだ。
 コロナ禍での医療不足や生活困窮などに直面する国民の声が耳に入っていないとしたら、議員活動が足りないことになる。

 野党議員も政府与党の失態追及ばかりでなく、医療現場などの切実な訴えを審議に反映させる工夫をしてきただろうか。

 議員が本来の役割を果たしているかどうかは、選挙で問われる重要な論点である。

 省庁も沈黙を続けている。7月、コロナ対策に関し、閣僚が酒を提供する飲食店への取引停止を販売事業者に求めた。法律に基づかない要請だったのに、官僚らは当初、修正を働きかける動きを見せなかったという。

 幹部人事を内閣が統制する仕組みの下で、政権への「忖度(そんたく)」がはびこり、決裁済み公文書改ざんなどの不祥事を生んだ。

 政策決定の現場に無力感が漂っているようだ。こんな状況が今後も続けば、思いつきの対策や政治家の保身のための政策が幅を利かす恐れがある。

 岸田氏は自民党総裁選で「民主主義の危機」と繰り返した。事態の深刻さを自覚しているはずではないか。

 すべての議員が自分の問題として再認識し、職責を果たす決意を有権者に示す必要がある。