田中知之さん

田中知之さん

東京五輪開会式で、ギリシャ選手団を先頭に行われた入場行進=23日夜、国立競技場

東京五輪開会式で、ギリシャ選手団を先頭に行われた入場行進=23日夜、国立競技場

田中さんが五輪開会式冒頭の作曲を担当した経緯

田中さんが五輪開会式冒頭の作曲を担当した経緯

 東京五輪・パラリンピックの音楽監督を務めた京都市上京区出身の音楽家田中知之さん(55)が、京都新聞社の取材に応じた。大会4日前に五輪開会式冒頭の約4分間の楽曲を急きょ30時間余りで作り上げたことや、新型コロナウイルス対策で計画の変更を余儀なくされるなど、さまざまな困難の中、重圧に向き合い続けた仕事について率直に語った。

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 7月23日午後8時。新国立競技場で東京五輪の開会式が始まった。ピアノや弦楽器の静かな旋律が流れ出す。大会の招致決定から新型コロナウイルスで延期が決まるまでの映像が映し出され、さらに、本番までのカウントダウンの映像と共にスピード感ある音楽が響き、高揚感が高まった。

 田中さんは、式典の冒頭約4分間の楽曲を開幕直前に制作し、全体の音楽監督を務めた。コロナ禍の大会で計画が大幅に変更され、制作陣の過去の言動による辞任で世論の目が厳しくなる中、どう音楽と大会に向きあったのだろうか。

■「今すぐ新国立競技場に来てほしい」「私がやります」

 ―開会式冒頭の楽曲制作担当だったミュージシャン小山田圭吾さん(52)が、過去のいじめ問題を理由に、開会式4日前に急きょ辞任することになる。

 「19日午後3時ごろ、組織委から連絡があり、『今すぐ新国立競技場に来てほしい』と。たぶん冒頭の音楽をどうするかという相談だろうなと思った。会議室で『もうおっしゃられなくても分かります。私がやります』と言いました。

 どれだけ時間があるのか聞くと、24時間と言われた。後輩の音楽家に協力を仰ぎ、とりあえずスタジオに来てもらった。でも気持ちばかりが焦ってなかなか曲ができない。時間だけがどんどん過ぎていく。作っては違うを繰り返し、なんとなくおぼろげに曲が形を見せだしたのは夜が明けた頃だったと思う。

 朝9時からストリングス(弦楽器)とホーン(管楽器)のセクションに順番に来てもらい、デモ曲ができたら今度は映像の監督たちとすり合わせをして映像とシンクロさせる。最終OKをもらったのが21日午前0時半頃。予定の24時間は過ぎたが、30時間余りで完成にこぎ着けた。

 もし、潤沢な時間を与えられたとしても、あの音楽を超えるものを作れたかは分からない。そう言う意味で悔いはない。こんなしびれる体験は今後経験することはないだろうし、誰にも経験してほしくない。途中で過呼吸になったり、追い詰められる状況の中でも極限状態から何かを生み出すことを体験でき、強くなった気がする。

 五輪のオープニングとしては過去の他国大会と比べると非常に簡素だったが、コロナ禍が深刻さを増す中で演出プランも変更を余儀なくされながらも、自分にできることを100パーセントやったという自信はあるし、チーム全員誰もいい加減な仕事はしていない。前任者たちへの思いを引き継いだ私たちがどう形にするかということで、常に敬意はあったし、そう言う声は常に現場に上がっていた。全く違う価値観の式典が作られたということはないと思っている」

■延期、解散、縮小…状況刻々と変化 式典実現、直前まで不安

 ―2020年初頭にパラの閉会式の音楽担当として白羽の矢が立った。コロナで大会の延期が決まり、野村萬斎さんらによる演出チームが解散したこともあり、翌年1月に、五輪・パラ開閉会式の音楽監督を打診された。式典の規模が縮小されるなど状況は刻々と変わっていた。

 「2021年2月に4式典の説明を受けた時は、まだアウトラインを膨らませている状況だった。内容の練り直しも強いられていた。演出も、当然音楽もまだ明確になっていないタイミングで、クリエーティブチームのイメージ作りの一助になればという気持ちもあり、私が曲を作ったり、選曲プランを披露させていただいたのがスタートだった。

 当初私も五輪の開会式は、ロンドン大会の時のようなゴージャスなイメージを持っていた。でも今回は、それとはわけが違うとすぐ理解した。コロナ禍で華美な演出はふさわしくないという意見は、われわれ制作サイドから出たこともあれば、組織委やIOCからの指摘もあった。それでも本当に開会式が開かれるのかという思いは寸前まであった。でももし開催されたら、それ以上のメッセージはないと思っていた」