「おや?」という疑問から、私は洋画家、太田喜二郎(1883~1951年)に注目するようになりました。2016年、京都文化博物館(京都市中京区)で同僚の考古学担当学芸員が企画した「アートと考古学」展に出品された≪石舞台古墳調査絵巻≫(1933年、個人蔵)を目にした時のことです。美術を担当する学芸員である私にとって、太田は点描技法を用いた印象派風の洋画を描く画家として認識していました。そのため、「太田がなぜこんな絵を描いたのか」と驚いたのです。

 太田は京都・西陣に生まれ、京都府立第一中学校(現・府立洛北高)を卒業後、東京に出て、東京美術学校(現・東京芸術大)で洋画を黒田清輝、藤島武二に学びました。卒業とほぼ同時にベルギーへ留学し、エミール・クラウスというベルギーの印象派の画家に学び、鮮やかな点描を用いた明るい表現を身につけます。1913年に帰国すると、日本の風景・風俗を明るい印象派風の点描で描き出し、各種展覧会で受賞を重ねます。

 しかし、