川村恵十郎の子孫の家で見つかった日記を確認する藤田さん(左)=京都市西京区

川村恵十郎の子孫の家で見つかった日記を確認する藤田さん(左)=京都市西京区

 徳川(一橋)慶喜に仕え、渋沢栄一を慶喜につなげた存在として知られる幕末の志士、川村恵十郎の書き残した日記が、京都市西京区に暮らす子孫の家で見つかっていたことが、分かった。恵十郎は幕末期に全国の有力大名や朝廷側とも面会を重ねるなど活躍、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」にも登場した人物だが、史料が少なく、これまでほとんど研究されてこなかった。日記には元治元(1864)年6月5月夜に起きた池田屋事件の記述もあり、激動の時代に京の街で起きたことが生き生きと記されている。

 恵十郎関連の史料では、書簡類が「川村正平関係文書」として国立国会図書館憲政資料室で管理されているほか、渋沢に関わる部分の日記の抄本が東京の渋沢史料館に保管されている。ただ、日記の原本はこれまで行方が分からず、専門家などが探していた。

 数年前、恵十郎のひ孫にあたる増戸雅子さん(71)=西京区=が東京の実家にあった文書類を整理して自宅に持ち帰ったところ、日記や備忘録、一橋家での昇進記録など恵十郎関連の史料数百点を含むことが判明。徳川林政史研究所(東京都)の研究員で、恵十郎に関する論文がある藤田英昭さん(48)に分析を依頼した。

 安政期から明治20年代にかけて書かれた日記のうち、藤田さんは坂下門外の変が起きた文久2(1862)年から慶応2(1866)年を中心に解読を進めている。盛岡藩士の新渡戸十次郎(新渡戸稲造の父)と頻繁に面会していたことや、福岡藩や熊本藩、対馬藩の藩士らと交流していたことが分かる記述もあり、激動の時代に諸藩が恵十郎を通して京都の動きを知ろうと情報収集していた様子が伝わってくる。

 藤田さんは「きら星のごとき有名人だけが時代を動かしていたわけではないことを改めて実感している」とこれまでの感想を話し、「恵十郎の視点を通して幕末史を再構成できれば」としている。