料亭「夏の家」を案内する藤原さん(2019年1月撮影)

料亭「夏の家」を案内する藤原さん(2019年1月撮影)

「夏の家」に展示されている望遠鏡。米艦隊の動静を記録するのに使われた(2019年1月撮影)

「夏の家」に展示されている望遠鏡。米艦隊の動静を記録するのに使われた(2019年1月撮影)

料亭「夏の家」の玄関口。看板の「Tea House」とは「お茶屋」のこと(2019年1月撮影)

料亭「夏の家」の玄関口。看板の「Tea House」とは「お茶屋」のこと(2019年1月撮影)

料亭「夏の家」の2階から外を見る藤原さん。大きな窓からは真珠湾が一望できる(米ハワイ・ホノルル、2019年1月撮影)

料亭「夏の家」の2階から外を見る藤原さん。大きな窓からは真珠湾が一望できる(米ハワイ・ホノルル、2019年1月撮影)

 日米開戦のきっかけとなったハワイ真珠湾攻撃から8日で80年。当時、米艦隊は大損害を被ったが、その動静を直前まで調べた日本海軍スパイの拠点となった料亭が、同湾を一望できる丘に現存する。戦後、女将として切り盛りし、歴史の「語り部」となってきたのは、京都から嫁いだ藤原栄美子さん(86)だ。節目の日を前に京都新聞社の電話インタビューに応じ、「平和が一番。いろいろな人種が仲良く暮らすハワイの精神が世界中に広まってほしい」と語った。

 料亭は、ホノルル郊外にある「夏の家」。1921(大正10)年に「春潮楼」として創業した。ハワイに多い日系人らでにぎわったが、常連客の中に、日本海軍の専門情報員だった故吉川猛夫氏もいた。吉川氏は41(昭和16)年3月、「森村正」の名でホノルルの日本総領事館員としてハワイに潜入。真珠湾を一望できる春潮楼の立地に目をつけ、同年12月の日米開戦までの間、客を装って訪れては2階の部屋から望遠鏡をのぞき、米艦隊の種類や隻数、停泊位置などを調べて日本に打電した。

 1934(昭和9)年生まれで、京都府宇治市に実家があった藤原さんは、63(昭和38)年、ロータリークラブの会合で来日していた料亭の主人で日系2世のローレンス・幸雄・藤原さんと知り合って結婚、ハワイに渡り女将としての人生を歩み始めた。

 料亭の2階からは今でも真珠湾が一望でき、1階にある人気の寿司バーには、吉川氏が使った望遠鏡も展示されている。「主人の父は四国出身。吉川さんは愛媛出身で同郷なの」。藤原さんはこう話し、「昔は建物も少なく、もっと見晴らしは良かったはず」と想像する。日本などから訪れる人たちに日米開戦に大きく関わった料亭の歴史を説明する機会も多く、政府要人や自衛隊の関係者を案内することもあった。

 だが、新型コロナウイルス禍でハワイでも観光客が激減。飲食店の人数制限で、料亭も団体客の受け入れができなくなったが、弁当などのテークアウトを導入し、「おかげさまで営業を続けることができました」。