にぎわう商店、青い山河、友達…。第二次世界大戦に世界が覆われようとしていた1938年に日本の少年少女が描いた児童画約400点が、遠く離れた欧州で約80年ぶりに相次いで発見された。絵は日本、ドイツ、イタリアの枢軸国同盟を祝うコンクールで集められたが、子どもたちが描き、大人たちが欧州に送り出したのは、日本が戦火をくぐる前の「平和な日常」だった。

 

商店前の活気を描いた「店屋」

 絵画は、ドイツがポーランドに侵攻する前年の1938年、森永製菓が行った児童画コンクール「日独伊親善図画」の作品。日独伊防共協定締結を祝う事業で、京都府を含む日本全国で6~17歳が計約400万点を応募した。今回見つかった約400点はドイツ、イタリアに約14万点ずつ送られた作品の一部。東京藝術大院生の田中直子さん(25)が2014年、留学先のドイツで、アウトサイダー・アート(正規の専門的美術教育を受けていない人の芸術)の講義を受けた際に作品を初めて見た。破棄されるのを見かねて戦後持ち帰っていたオーストリアのドイツ人家庭や、アートとして収蔵していたイタリアの家庭で作品を以後発見。多くを現在借り受け、日本で研究している。

友達と思われる女子児童を描いた「林田さん」

 約400点のうち10点は現・綾部市本宮町にあった綾部尋常高等小(現・綾部小)の3年生9人(合作、1人2点制作含む)が校区の風景や人を描いている。作品「店屋」は手をつないで買い物する母子や行き交う人など商店前の活気を、「青葉の丘より」は山々と木々に囲まれた町の遠景を、「林田さん」は友達と思われる女子児童を愛らしく描いている。由良川の景勝地だった現・並松町地域をスケッチしたとみられる作品もある。

「水無水えん(原題ママ)」。水無月祭り(現・あやべ水無月まつり)の花火大会と、同時に行われる由良川の万灯流しの光景を描いたとみられる

 田中さんは10月、綾部尋常高等小の作品10点を撮影し、綾部小にメールで送った。村上元良校長(60)は「絵が描かれた時代は戦争の厳しい、暗いイメージがあったので、どんな絵だろうかと思っていた」。ところが、予想に反して描かれていた「平和だった綾部の日常」の光景に驚き、心打たれた。「子どもたちが生活を生き生きと温かく描いていた」。

理髪店の様子を描いた「さんぱつ屋さん」

 田中さんも発見時、日本の作品を見て、「生活画が多く、当時の暮らしがよく分かる貴重な絵」と意外に感じた。国旗や集団行動を描いたプロパガンダ的作品が多いドイツ、イタリアの作品と対照的だったためだ。研究を進めると、森永製菓は各学校に配ったパンフレットで「画題は自由」とし、ヒトラーや戦争を描いた作品よりも、子どもたちが日常を描いている作品を好んで入賞させていた。

「店屋(同名作品)」。商店の様子がよく分かる

 森永製菓がなぜそうした作品を選んだのか。当時社長だった松崎半三郎は「子供の絵-図画こそは、何の粉飾もない天真なる精神の具現である。その図画を通して子供達同志の生活に触れ合うこと『お互いに仲良くしませう』の気持ちを交換し合うこと、-これ以上に力強い親善方法が何処にあるだろうか」と語っている。同社の広報担当者は「満州事変(1931年)をきっかけに世情が軍国調になっていく中、『私のお母さん』をテーマにした図画、作文を募集するなど心温まる行事を社が全国で実施していた時期」とする。

山々と木々に囲まれた町の遠景を描いた「青葉の丘より」

 綾部小は現在、絵を描いた元児童9人の消息を探している。1人の存命が分かったが、すでに他界した人も多いという。絵画について全校児童に話すほか、社会科で歴史を学ぶ6年生たちに「生きた歴史」として教える予定。村上校長は「どんな時代も子どもたちは明るく元気に頑張っていた。日常を奪う戦争の残酷さと、平和の大切さを伝えたい」と話しており、作品の展示も模索している。

由良川の景勝地だった現・並松町地域をスケッチしたとみられる作品「味方橋」

 綾部尋常高等小の作品に心当たりがある方は綾部小0773(42)0290へ。