高陽院にあった平安京最大規模の池の発掘現場。複数の池からなるという新知見が示された(京都市中京区)

高陽院にあった平安京最大規模の池の発掘現場。複数の池からなるという新知見が示された(京都市中京区)

 平安時代後期に藤原頼通が造営した邸宅「高陽院(かやのいん)」(京都市上京区、中京区)跡で、平安京最大級とされる庭園の池跡を民間調査会社が発掘調査で見つけた。過去の関連調査との比較を通じ、今回の調査地を含む池の東半分と、西半分で岸や底に高低差があることが分かった。調査会社では、一つの大きな池ではなく二つ以上の池が連なっていたとの新知見を示し、「栄花物語で『海龍王の家』と評されたごとく寝殿の北、南、西、東に池が広がっていた可能性がある」とみる。

  高陽院は、摂関政治全盛期の頼通が1021年に完成させた。貴族邸宅が通常広さ1町(約120メートル四方)なのに対して4町を有し、天皇行幸を描いた「駒競(こまくらべ)行幸絵巻」(和泉市久保惣記念美術館蔵、重要文化財)に庭の池で舟が浮かぶさまが描かれた。これまでの調査では、敷地南西部に南北約140メートルに及ぶ平安京最大規模の池が広がり、北東部に別にもう一つの池があると推定していた。

 今回の調査は不動産開発に伴い、平安京左京二条二坊十・十五町(中京区油小路通丸太町下ル)の約600平方メートルで文化財サービス(伏見区)が手掛け、今年3月に報告書をまとめた。調査地は全て南西部の池に当たり、砂礫(されき)を底に敷いて平らに固めていた。

 南西部の池とされた過去9カ所の関連調査と比較検討すると、池底は舟を浮かべる安全性などからほぼ平たんで、水深も約50センチで共通した。一方、池の標高は、約40・5メートルの地点が今回の場所を含む東半分3カ所では池底に当たったのに対し、西半分2カ所では岸の位置に相当。池底の位置は東側が西側より最大で50センチも高く、明らかな高低差があったという。

 同社取締役の辻純一調査グループマネジャーは「一つの同じ池で岸と底が同じ標高に位置するとは考えにくい。今回の調査地一帯が東池とも想定でき、西半分は滝などで標高差を超えてつなぐ別の池だったと考えられる。断定はできないが、さらなる調査で検討を重ねたい」と話している。

◇京都産業大の鈴木久男客員教授(考古学)の話

 平安京最大級の庭池が少なくとも二つからなる可能性は十分にある。摂関期を描いた歴史物語の栄花物語は、高陽院について「海龍王の家などこそ、四季は四方に見ゆれ」などと表現している。寝殿の四方に、東は春、南は夏、西は秋、北は冬と想起させる池があり、北東から南西に向かって敷地内の高低差を利用して遣り水や滝でつなぐ一体的な造りが思い浮かぶ。