「平成」が幕を閉じる。天皇陛下はきょう、退位の儀式に臨まれる。

 2016年8月のビデオメッセージ公表以来、国民の多くが退位への理解を示した。現行憲法下で初となる代替わりは、好意的に受けとめられているようだ。

 ただ、「国民統合の象徴」が地位を退く意味について、深い議論がなされてきたとは言い難い。

 陛下は戦地慰霊や被災地の訪問などに積極的に取り組まれた。そうした行為から、平和への思いや弱者へのいたわりの気持ちを感じ取った人は少なくないだろう。

 天皇として当たり前のようにも見えた行動だが、実は憲法に定める「象徴」のあり方を自ら探り続けた過程でもあった。そのことに多くの国民はビデオメッセージで初めて気づいたのではないか。

 「象徴」とは何か。この問いに対する答えは、たった一人の当事者である天皇ご自身が国民とふれ合う中で模索してきた。その営みがいまだ完成途上にあることは、陛下も2月に行われた在位30年式典のお言葉の中で認めている。

 象徴天皇の役割を考えることは皇位継承者や政府だけの問題ではない。憲法の下で生きる私たちも深く心に留めておく必要がある。

 現代史に詳しい作家の保阪正康さんは、平成時代の天皇のテーマは憲法上の象徴天皇像をつくりあげるのに加え、「昭和の戦争体験を引き継ぎ、悲惨な体験を繰り返さないこと」だったという。

■昭和の「遺産」見つめ

 戦争体験の継承については、日本が陥った悲劇を統治権の総攬(そうらん)者だった父・昭和天皇の間近で見聞きした少年時代の体験が基になっていることは確かだろう。

 戦後60年にサイパン、同70年にパラオ、その翌年にはフィリピンと、海外の戦地に赴いた。日本人戦没者だけでなく相手国の戦没者も悼み、日本が被害を与えた国々へのお気持ちを表した。

 沖縄へ深い関心を抱くのも同様の思いがあるからではないか。訪問は皇太子時代を含めて11回に及び、各地への「慰霊の旅」の中でも特別な位置づけにある。

 国内唯一の地上戦に巻き込まれただけではない。歴史学者の加藤陽子さんは、戦後も米ソ対立の中で「国の防衛線は遠くに置く方がよいとの考え方で、沖縄は冷戦の前線に差し出された」(「昭和天皇と戦争の世紀」)と指摘する。

 米軍に沖縄の基地を提供することで日本は国際社会に復帰し、繁栄の道を歩むことができた。そうした経緯を忘れがちな私たちへ、陛下は行動を通じて気づきを求めてきたとはいえないだろうか。

 政治とは一線を画しながらも、昭和から続く「負の遺産」に真摯(しんし)に向き合ってきたのは、「象徴」としての役割を十分に感じてのことだったように思える。

■公的行為に曖昧さも

 さまざまな境遇に置かれた国民に分け隔てなく丁寧に接する姿勢も、広く国民の共感を呼んだ。

 阪神・淡路大震災や東日本大震災などの自然災害では現地を訪れて被災者を励ました。国内の離島にも足を運び、ハンセン病や水俣病の患者とも対面した。

 格差と分断が進んだ社会の亀裂を、天皇のお言葉が癒やす-。私たちはつい、そんな感覚を抱いてしまうことはなかったか。

 「国民統合の象徴」の分かりやすい事例だといえる。

 注意が必要なのは、こうした被災地訪問や国民とのふれ合いが憲法に定める国事行為ではないということだ。宮内庁の分類では「公的行為」とされている。

 陛下の誠実な思いが背景にあるとはいえ、こうした公的行為が増加していくことは天皇の役割の範囲を曖昧にしかねない。

 沖縄や被災地、社会的弱者などに手を差し伸べるのは本来、政治の責任であるということは押さえておくべきだ。

 代替わりで皇室への関心が高まっている。それだけに、政治的権能を持たない天皇の活動によって政治の課題が見えにくくなってしまう恐れがあることは冷静に認識しておきたい。

■憲法への信頼を基に

 天皇陛下は戦後民主主義の価値を尊重し、現行憲法に深い信頼を寄せていた。そのことは即位直後に「みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と述べたことからもうかがえる。

 「象徴」の理想像は、民間から迎えた皇后さまとともに模索し、現在のスタイルをつくりあげた。

 「象徴」とは、国民とのふれ合いの中でその役割が理解されていく-。そんな考え方を日々の実践を通して積み重ねてこられた。未完の営みではあっても、お二人による「見せる天皇像」は一つの到達点といえるのではないか。

 陛下は、皇室の伝統を憲法の理念の中に位置づけ、全身全霊で公務にいそしむことで象徴天皇制への理解を社会に定着させてきた。時代が求める天皇の使命を全うされたといえる。

 あす、皇太子さまが新天皇に即位する。退位される陛下の思いを引き継ぎ、新時代のよき象徴になられることを願いたい。