京都府立植物園を訪れ、当時の松谷園長(右)から説明を受けられる天皇、皇后両陛下=2009年11月19日、京都市左京区

京都府立植物園を訪れ、当時の松谷園長(右)から説明を受けられる天皇、皇后両陛下=2009年11月19日、京都市左京区

 30日で退位する天皇、皇后両陛下は、京都、滋賀の人々とも交流を温めてこられた。ゆかりの人たちに、思い出やエピソードを聞いた。

 魚類学者で京都大名誉教授の中坊徹次さん(69)=京都府宇治市=は、ハゼ類の研究者でもある天皇陛下と40年近く交流を続けてきた。「簡単に結論を出されない丁寧な研究の進め方や着想など、陛下は一流の学者だ」と語る。共著の論文を執筆する際は数時間議論することも。今月も陛下らとともに京都御苑(京都市上京区)の仙洞御所の池に生息するハゼ類の論文を発表した。「『学者陛下』と40年近く歩ませていただき、感謝の気持ちでいっぱい」と語った。

 滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)の元学芸員で神戸学院大教授の前畑政善さん(68)=大津市=も「魚の話題をすると本当に楽しそうだった。忙しい公務の中、心の安らぎになっていたのでは」と推し量る。皇太子時代に湖国を訪れた際、淡水魚ニッポンバラタナゴの絶滅危機を伝えると「心配ですね」と案じ、赤坂御用地の池で保護飼育することに。酒席では冗談を言って周囲を笑わせたといい「話題が豊富で植物にも詳しかった。退位後はゆっくりと研究を楽しんでほしい」と気遣った。

 「自然への探究心がとても強いと実感した」と語るのは、京都府立植物園(京都市左京区)の名誉園長松谷茂さん(69)=宇治市。2009年に同園を視察した際、陛下は、昆虫との共生や受粉の過程など植物の生態について松谷さんに矢継ぎ早に質問した。栽培担当職員には「多くの花を美しく咲かせてくれてありがとう」と感謝の言葉を掛けたといい、松谷さんは「裏方も気に掛けてくれた」と心遣いに感謝した。

 歌会始選者を務める歌人で京都産業大教授の永田和宏さん(71)=左京区=は「(妻で、共に選者を務めていた)河野裕子(故人)が闘病中で何も食べられなかった2010年の歌会始の前日、皇后さまから、『一さじなりとも』とスープが届けられた。お優しさが心にしみた」と振り返る。昨年の歌会始では「語」のお題に両陛下は互いの姿を詠み合った。「こんなにも互いのことを信頼感を持って詠み合っておられるお二人はない。誰もが持っている相聞の思いが、皇室に親近感を抱かせるのだろう」と話した。

 学習院幼稚園時代から同級だった臨済宗相国寺派管長の有馬頼底さん(86)は今年3月に京都御所であった茶会の際に「退位後、1年の半分は京都でお過ごしになりませんか」と声を掛けたという。「幼稚園のころ、両脇を警察官がガードするなか三輪車に乗った当時の陛下が現れ、一緒に遊んだのが懐かしい」と振り返る。「陛下は大きな手術もしているので、今後はゆっくりしてほしい」と語った。

 いとこにあたる、青蓮院(東山区)門主の東伏見慈晃さん(76)は、14年初めに亡くなった父の東伏見慈洽前門主を両陛下が見舞われた時のことが印象に残っているという。「ベッドのそばで父の手を取り声をお掛けいただく姿に、災害の被災者の近くでひざまずいてお話されている姿が重なった。誰に対しても分け隔てなく接しておられることをあらためて感じた」

 学習院大の同級生で、元滋賀県議会議長の有村國宏さん(84)=愛荘町=は、両陛下と同行した1984年の世界湖沼会議を振り返り、「学習船うみのこで両陛下は、港で見送る人たちが見えなくなっても手を振り続けておられた。見えない所でも国民に思いを向けているのだと感じた」と話した。