1986年4月。高校2年生だった私は「男女雇用機会均等法施行」のニュースに弾むような希望を感じた。あれから35年余り。均等法第一世代の女性は理念と現実のはざまで翻弄(ほんろう)され、それでも壁を打ち破ってきた。いま京都新聞社の記者をしている私には大学生の娘と高校生の息子がいる。最初の妊娠では夜勤免除を申請すると上司に怒られた。2人目になると時短勤務を申し込む気持ちさえくじかれていた。それでも働き続けられたのは先輩の背中に憧れたから。本当の「平等」には何が必要か。道を広げてくれた第一世代の生き方から考えたい。(京都新聞・今口規子)

かつての職場の研究技術部で立つ山﨑さん。「変える。」のポスターと共に(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成工業)

■難関をくぐりぬけ、化学メーカーで女性初の道へ

 経理や法務、人事など総勢80人が働くフロアの真ん中。京都市東山区の化学メーカー、三洋化成工業で総務本部副本部長を務める山﨑有香さん(56)=京都市伏見区=が会議の合間に席へ戻った。「ちょっといい?」。柔らかく声を掛ける山﨑さんの朗らかな笑い声がフロアに響く。

入社当時の社内報(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 山﨑さんの入社は1988年。三洋化成は均等法施行で前の年から総合職の門戸を女性に開いていた。大学で化学を学んだ山﨑さんは難関をくぐり抜けて採用され、女性総合職で初めて研究技術部へ配属された。

■法律があっても、一日の始まりは「お茶くみ」

 法律ができたとはいえ、「均等」は社会に浸透しておらず、制度も未成熟だった。山﨑さんの一日の始まりはお茶くみ。重要な仕事は男性ばかりが任せられる。大きなプロジェクトが始まっても、女性が加わるには自ら声を挙げない限り難しかった。

山﨑さんの「相棒」だった分析機器(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 時はバブル全盛期。栄養ドリンクのCM「24時間タタカエマスカ」が街にあふれていた。「不夜城」と揶揄された研究開発部門で山﨑さんは仕事に没頭する。3年目には分析機器を使いこなし、複雑な組成を解き明かす作業に魅了された。

■出産育児は綱渡り。同期入社の女性たちは社を去った

 29歳のとき同じ会社で働く忠明さん(53)と結婚。ところが無理がたたったのか切迫流産、切迫早産で入退院を繰り返す。31歳で長男を出産。産後9カ月で職場に復帰し、再び深夜まで分析にあたった。

二人三脚で子育てに取り組んだ夫の忠明さんと(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 夫と家事の分担を決め、実母や義母も協力を惜しまなかったが、それでも綱渡りの連続だった。夜7時、走って保育園に迎えに行くと子どもは長男一人。「ごめんね」と長男に声を掛け、自分は職場に戻って仕事を続けた。

 「体力的に難しい」。総合職で同期入社した女性たちは数年で社を去った。先輩も後輩も結婚と出産で次々辞める。当時は時短勤務制度もなく、長時間労働が変わらないまま家庭の責任を負いながら働き続けるのは難しかった。「優秀なのに…」。残念でならなかった。

■「男尊女卑が残る化学メーカーでよく頑張ってくれた」

 2009年、44歳で女性初の部長にと打診を受ける。「引き受けないとだめですよね」と小声で尋ねた山﨑さんに、役員の一人から手紙が届く。「男尊女卑が残る化学メーカーでよく頑張ってくれた」

虹色の小旗が飾られたダイバーシティ推進部(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 部長として部下と共に仕事を成功へと導く達成感。女性たちに後に続いてほしいと強く願うようになり、9年後、女性活躍の取り組みを進める「ダイバーシティ推進部」の初代部長に就くと改革を推し進める。

■「次代のために」改革、女性が活躍できる会社に

 女性の多くは昇進を打診しても、かつての自分のように「私には無理」と戸惑う。そこで、女性活躍を進める上で乗り越えるべき課題を検討する研修を始め、結果を女性社員から経営陣に報告してもらった。「後輩が自信を付けて堂々と提案する姿がうれしかった」

現在の研究技術部では大勢の女性が働く(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 前後して働き方改革で時間単位の有休制度やフレックスタイムが導入された。一般職が廃止され、正当に評価されてこなかった女性が昇進した。残業は減り、男性の育休取得率は6、7割に上昇した。

 京都新聞社の「第一世代」にも話を聞いた。セミヌード写真が置かれた職場、つわりで何十回と吐いても仕事を続けた過去。育休の拡充や旧姓使用のため会社と重ねた交渉。困難をおして最前線を取材し権利を広げてくれた私の先輩と、山﨑さんに共通していた言葉は、「次代のために」。

■改革の中心に「第一世代」今も進行形

 山﨑さんが古巣の研究技術部を訪ねると、「有香さん」を慕う後輩が集まってきた。34年前、一人から始まった総合職の女性部員は今や半数以上に。でも女性リーダーは少ないし生え抜きの女性役員もいない。壁には社内改革のスローガン「変える。」のポスター。

山﨑さん(中央)。かつての職場の研究技術部で、同僚と一緒に(2021年12月7日、京都市東山区・三洋化成)

 現在進行形の変革。その中心に、1988年入社の女性総合職で唯一会社に残った山﨑さんがいた。