400年前に切り出されたとされる残念石(木津川市加茂町)

400年前に切り出されたとされる残念石(木津川市加茂町)

藤堂藩所管とされる「一」「二」の印が刻まれた残念石

藤堂藩所管とされる「一」「二」の印が刻まれた残念石

残念石の位置とバイパスの予定地

残念石の位置とバイパスの予定地

 江戸時代初期の大坂城再建で石垣用として切り出されたが、運ばれることなく木津川河川敷に残された約400年前の巨石「残念石」が道路建設工事のため、京都府木津川市加茂町の現在の場所から移設する方向で検討されている。史跡案内を続けてきた地元の住民らは「子どもたちが見学できるような場所に保存してほしい」と求めている。

 残念石は1975年、木津川支流の赤田川の護岸改修工事で約70個の巨石が見つかった。寸法、日時や符号などの刻印があり、藤堂藩の所管を示す「一」「二」の印も見られる。


 徳川幕府は1620(元和6)年、大坂夏の陣で焼失した大坂城を再建するため、資材の調達を各地の大名に求めた。当時、木津川上流を治めていた藤堂高虎(伊勢・津藩主)が、加茂の常念寺に滞在し、石材の切り出しを指揮したとされている。笠置から加茂に至る川筋は物資を運ぶ主要河川となっており、大野山から岩を切り出し、船を調達して木津川、淀川を経て石を運ぶように命じられていたとされる。


 切り出された巨大な花こう岩は、数十個が現在、木津川河川敷と赤田川に残ったままになっており、地元の小学生や府内外から多くの人が訪れ、歴史を学ぶ史跡として活用されている。


 一方、残念石が残された周辺を府道天理加茂木津線「大野バイパス」として府が道路建設を計画している。そのため、残念石は現在の場所から移動することになる。


 木津川市は現存している四十数個すべての残念石の移設を求めており、国と府に要望書を提出した。市の担当者は「地元の人たちが見学できるように移設をお願いしている」と話す。


 すでに昨年末から竹林の伐採が始まり、工事期間中は現在の残念石の所まで入るのが難しくなっている。府山城南土木事務所は「どこに移設するかはまだ決まっておらず市と国と調整する」としている。


 史跡案内を続けてきた地元のNPO法人「ふるさと案内・かも」の田中勝男副会長(77)は「歴史を示す貴重な文化財として保存し、この地域で育った子どもたちが学習できるようにしてほしい」と話す。