「3・11」をテーマに卒業プロジェクトを完成させた村上さん(京田辺市興戸・京田辺シュタイナー学校)

「3・11」をテーマに卒業プロジェクトを完成させた村上さん(京田辺市興戸・京田辺シュタイナー学校)

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村から避難し、京都府京田辺市で暮らす村上美月さん(18)が「3・11」をテーマに、京田辺シュタイナー学校(同市興戸)の卒業プロジェクトを完成させた。散り散りになった幼なじみと再会を果たし、生まれ故郷も震災後初めて訪問。原発や電気のあり方について各地の実践者と話す中で気付いたのは、飯舘村で当たり前だった、ひと手間かけた暮らしの豊かさ。震災から11年目を前に「本当の幸せを見つめる機会にしてほしい」と呼び掛ける。

 飯舘村で、両親は有機農業に取り組み、収穫物を生かしてレストランと民宿を営んでいた。村上さんも、父が手作りした木のブランコで遊び、手が紫色になるまでブルーベリーをほおばり、ひんやりとした山水でビニールプールを楽しむ日々だったが、小学1年時の原発事故で突然奪われた。

 あの日、福島市の友人宅に母や妹といた。津波に警戒を呼び掛けるテレビ、知人に電話をかけまわる母、原発の様子から「福島に住めないかも」と話す大人の姿…。翌日に自宅で父と合流し、親族がいた山形県や静岡県を経て、三重県に避難。中学1年で京田辺市に移り、同校へ通い始めた。

 卒業プロジェクトは、高校2年生にあたる11年生の秋から1年半かけて取り組んだ。飯舘村を離れて以降、「人々の記憶から震災は消えてしまったのではないか」と思うと、積極的に話せず心の隅に押しやっていたが、ひっかかりは消えず、「3・11をもっと知ってほしい」と考えた。

 当初は過去の振り返りを中心にしていた。だが、飯舘村の幼なじみ家族を山形県に訪ね、考え方が変わった。自給自足に近い生活を送り、地域の人と協力し合うなど、場所は違っても、スタイルを変えずに今を生きていた。村上さん自身も現実に向き合おうと決め、放射能を懸念してずっと行けていなかった飯舘村を昨秋、10年ぶりに訪れた。

 自宅には懐かしいおもちゃや服があの日のまま残っていたものの、人が住まなくなった家は「死んだよう」。思い出の故郷とは違い、ショックを受けた。しかし、お世話になっていた女性に会いに行くと、避難指示解除後に村へ戻り、以前と同様、手作り食品を販売する姿があった。過去と現在の飯舘村がようやくつながった。

 人との出会いを重ねるうち、「幸せとは何だろう」と頭に浮かぶようになった。栃木県内の工房を泊まり込みで訪れた際、釜でご飯を炊くようなひと手間かけた暮らしを体験した。電気に頼らなくても感じられる幸せ。それは飯舘村で行っていた暮らしそのものでもあった。「原発に賛成、反対とは異なる選択肢にもつながると感じた」

 卒業プロジェクトは75ページの冊子にまとめ、2月中旬に同校の生徒や保護者の前で発表した。「当たり前の存在だった電気を見直すようになった」などと感想が寄せられた。3月5日に卒業、学びやを後にした。

 4月からは浜松市の専門学校で幼児教育を学ぶ。「卒業プロジェクトは一区切りだけれど、3・11は自分の中で今後も続いていく」。福島の子どもらを招いた保養キャンプに参加するなど、福島との歩みは止めないつもりだ。