文政京都地震で「根元から折れた」と記録されている北野天満宮東側の鳥居。下部には石を継いだような痕がある(京都市上京区)

文政京都地震で「根元から折れた」と記録されている北野天満宮東側の鳥居。下部には石を継いだような痕がある(京都市上京区)

北野天満宮の「宮仕日記」からは「大地震」との文字が読み取れる =京都市上京区・北野天満宮

北野天満宮の「宮仕日記」からは「大地震」との文字が読み取れる =京都市上京区・北野天満宮

 東日本大震災の発生から、11日で11年を迎えた。京都市内では近年、大きな地震被害はないが、活断層は数多く確認され、歴史上幾度も大地震に見舞われてきた。とりわけ甚大な被害をもたらした江戸後期の「文政京都地震」について、神社に残る史料や絵図をひもといた。

 文政京都地震についてまとめた「京都大地震」(三木晴男著、1979年)や京都市の資料によると、1830(文政13)年に現市域の西方で起きたとされる。マグニチュードは6・5。犠牲者数は諸説あるが、最大800人余りとする史料があることを「京都大地震」は紹介している。


 北野天満宮(上京区)には地震の記録が残る。権禰宜(ごんねぎ)の東川楠彦さんによると、同宮に仕えた人たちが日々のことを記した「宮仕(みやじ)記録」や、曼殊院(左京区)から派遣されていた僧侶の「目代記録」には、境内東側の鳥居が根元から折れ、多数の灯籠が倒れたといった被害が列挙されているという。


 現在、その鳥居の下部には石を継いだような痕がある。地震との関連を断定することはできないものの、東川さんは「二つの記録には地震が『古今未曽有』だったという言葉や、余震が続いた恐怖も書かれており、当時の緊迫感が伝わる」と話す。


 山崩れによる被害もあったようだ。下鴨神社(左京区)には、比叡山の西側が崩れて土砂が高野川や谷川に流入し、濁流が摂社の御蔭神社(同区)の本殿や境内を飲み込むさまを描いた絵図が残る。


 地震前年の洪水の様子を描いたとの説もあるが、下鴨神社資料館の新木直安館長は「地震後に神職が『御蔭神社は本殿の上部以外は土砂に埋まった』と記録し、絵図のような状況が起きていたと考えられる」と話す。御蔭神社はこの地震の被害がもとで、高野川のほとりから御蔭山(御生山)の中腹に移転を余儀なくされている。