2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から11年を迎えるのを前に、京都新聞社の「読者に応える」など読者とつながる報道に取り組む全国の地方紙17紙は、被災地「福島・東北」について知りたいことや原発政策の在り方などを聞くアンケートを実施した。回答者からの反応には、日本三景の一つ「松島」(宮城県松島町)に関する質問が複数寄せられた。「旅行で訪れて感激した風景が思い出される」「復興しましたか?」。津波被災地の復興を先導した東北有数の観光地は「あの日」から11年を経て、コロナウイルス禍という苦境となお闘っている。地元紙の河北新報社がリポートする。

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 JR仙台駅から仙石線に揺られて約40分。景勝・松島の玄関口、松島海岸駅に降り立つ。昨年12月に改装された駅舎にはカフェや土産物店が併設されている。

 目抜きの松島海岸通りを5分ほど歩くと、仙台藩祖伊達政宗創建の国宝・瑞巌寺が見える。絢爛(けんらん)豪華な絵画や彫刻を施した本堂が桃山文化を今に伝える。

 あの日、海岸を越えて押し寄せた津波は参道の4分の3を過ぎた地点で止まった。建物は浸水を免れ、1カ月後の4月10日に拝観受け入れを再開した。

 一般の観光客はまだまだ数少なかった当時、目立って多かったのが作業着の復興支援関係者。僧侶の稲富慶雲さん(45)は「休日なのか仕事の合間なのか、困っている被災地にわざわざ足を運んでくれる姿が仏様と重なった」と振り返る。

日本三景のひとつ、宮城県の松島(2月16日)

 政宗は瑞巌寺創建に国の安寧と領民の幸福への願いを込めたと伝わる。「原点に立ち戻ろう」。寺の地域での在り方から見つめ直す取り組みは、3年後の14年にスタートした「瑞巌寺杉道市(さんどういち)」として結実する。

 境内を会場に県内の農水産物や加工品、アクセサリーを販売。津波による塩害で枯れたスギの伐採・植樹中の休止を経て、現在は3~11月の政宗の月命日(25日)に近い日曜に実行委員会が主催している。

 瑞巌寺は会場提供にとどまらず、来場者に購入金額に応じて非公開の場所を拝観させたり、杉道市限定の御朱印を用意したりする特典を設けた。土産品店を経営する実行委員長の鈴木幸太郎さん(42)は「地元とともに歩む寺の厚意に感謝する」と言う。

 総門(山門)から海岸まで約100メートルしかなく、海面とは高低差がない。町内に押し寄せた津波の高さは最大で3・8メートル。直接死は2人で、隣接する被災市町に比べ被害が小さかった。

 町の蜂谷文也危機管理監は「湾の地形が被害を軽減した」と説明。町の12年のシミュレーションでは湾外で10メートル近くあった波が、湾内に点在する大小の島々や半島にぶつかって減衰したことが分かった。

 被災地復興を先導し、観光客の入り込みを順調に回復させてきた松島にコロナ禍が影を落とす。21年の入り込み数は震災があった11年よりもさらに少ない124万人弱。過去30年で最低だった。

 松島海岸発着で湾内を周遊する船を運航する松島島巡り観光船企業組合。東京五輪に伴う訪日外国人旅行者(インバウンド)の増加を見込み20年夏、21年ぶりの新造船「仁王丸」(180トン)を就航させた。

 「感染拡大が書き入れ時の大型連休や夏場と重なったのは厳しい」と理事の真野和彦さん(61)。乗船定員を絞り込み、上下船時の消毒を徹底するものの客足は細い。

 海の青に新緑と桜がコントラストを織りなす美しい季節はもうすぐ。松島観光協会長で観光ガイド業を営む志賀寧さん(69)は「松島は変わらず松島。ぜひ来てほしい」と呼び掛ける。(河北新報)

■変わらない絶景と美酒美食

 「松島について知りたいとの声が複数ある」。アンケート結果を報告するデスクの言葉に驚いた。数年前の休日に観光客でにぎわう様子を見ており、状況は広く伝わっているとばかり思い込んでいた。

 今回の取材は観光客の視点で確かめたくて、あえて電車で出掛けた。青々と広がる穏やかな海に朝日がきらめき、雪化粧をした小島が映り込む。

 植え替えられた瑞巌寺のスギは大人の背丈ほど。確かに震災前の以前のスギ並木はうっそうと茂り、荘厳な雰囲気だった。ただ、今の景色も明るくて捨てがたい。約400年前、政宗が見た瑞巌寺に近いのかもしれない。

 松島は身近すぎて、アンケートがなかったら取り上げなかっただろう。コロナ禍が収束したら、ぜひ足を運んでほしい。変わらない絶景と美酒美食が待っている。
(河北新報コンテンツセンター・藤沢和久)