京都市はウクライナの首都キエフと姉妹都市の縁を結び、交流を続けている。

 市役所前広場には友好記念碑がある。ふだんは目立たない碑だが、いま多くの花束がささげられている。

 ウクライナ国旗の色である黄や青のセロハンに包まれた花々。「ウクライナに平和を」と書かれたカードも添えてある。

 やり場のない悲しみ、怒りをそこに感じる。

 ロシアはウクライナの軍事施設だけでなく、産科小児科病院や集合住宅、原発施設などを無差別爆撃し、子どもを含め民間人を殺害している。

 友好碑前の花束は、ウクライナの犠牲者たちへの追悼の表れだけではあるまい。何か自分にできることはないか。そんな気持ちに突き動かされ、キエフの碑に向かった人もいよう。

 連帯の思いを行動に移してはどうだろう。市民デモに参加するのもいい。寄付という方法もある。在日ウクライナ大使館には7日時点で約15万人から40億円近くの寄付があったという。

 一人一人の声は小さくとも、広がれば大きくこだまして届くはずだ。

 残念ながら、これまでウクライナへの関心は一般的に高くなかった。関係書物は少なく、歴史もあまり知られていない。

 キエフの友好碑から、ウクライナとロシアの歴史の一端が見えてくる。

 1971年の姉妹都市提携から数年後に設置されたが、2001年に現在の碑に取り換えられた。前年に京都市を訪問したキエフ市の幹部が目にして、新しい碑を寄贈してきたというのだ。

 最初の碑には「ハンマーと鎌」など旧ソ連の象徴が刻まれていた。ウクライナは1991年にソ連から独立しており、キエフの幹部は不愉快だったのではないか。

 新しい碑には、ウクライナの国章である「三叉(さんさ)の鉾(ほこ)」が刻まれている。10~11世紀にヨーロッパ最大のキエフ大公国を作り上げた人物の紋章を継承しており、ウクライナの誇りという。

 ウクライナは自分の国を持てなかった歴史が長い。帝政ロシアやソ連、ポーランドなどの支配下にあったのだ。ロシア革命や第1次世界大戦の激動期に民族主義運動が高まり、1917年にウクライナ人民共和国として独立を果たしたものの、ソ連からの圧迫で短命に終わった。

 ロシアのプーチン大統領は、ウクライナとの一体性を主張するが、歴史を見ればゆがんだ理屈ではないか。

 元ウクライナ大使の黒川祐次氏は著書「物語ウクライナの歴史」で、人びとは国を持てなくても「アイデンティティーを失わなかった」とし「独自の言語、文化、習慣を育んでいった」と書いている。

 キエフとはロシア語の呼び方で、ウクライナ語では「キーウ」というそうだ。

 そのキーウが危機にある。ウクライナからの避難者は250万人を超えている。私たちにできる支援は小さいかもしれないが、長く続けていくことで力になる。連帯の思いを届けたい。