10年たった次の日に、亀岡集団登校事故の現場を訪れた中江美則さん(24日午後、京都府亀岡市)

10年たった次の日に、亀岡集団登校事故の現場を訪れた中江美則さん(24日午後、京都府亀岡市)

 「10年たつまで来んといて」。京都府亀岡市の集団登校事故が起きて間もない頃、亡くなった娘に夢でこう託されたという中江美則さん(58)は、発生10年の翌日に当たる24日、あらためて現場を訪れた。以前から「節目の翌日の24日、俺の心にどんなことが浮かぶのか分からん」と語っていた美則さん。だがこの日は晴れやかな表情で「これ以上被害者や加害者をつくらないため、やるべきことがまだある」と亡き娘に誓った。

 亀岡事故は2012年4月23日に発生し、美則さんの長女で妊婦だった松村幸姫さん=当時(26)=ら3人が亡くなった。美則さんは事故から2週間ほどたった頃、夢で幸姫さんから「10年たつまで来んといて」と言われたという。それ以来、元受刑者の社会復帰支援や講演などに取り組みつつ、夢で聞いた言葉の意味を探り続けた。節目が近づくにつれ時に「満足いく結果は出てへん。幸姫に、10年待つのは何の意味やってんって聞きたい」と漏らすこともあった。

 23日は朝から現場で法要が営まれ、午後は京都市内で美則さんらが登壇してシンポジウムを開いた。シンポ後、美則さんはほかの交通事故遺族から「息子を失って中江さんの気持ちが分かった」と明かされてうれしく思うと同時に、「いくら被害者の気持ちを理解しても、無謀な行動をする人間がいる限り、命は失われる」とも感じた。そして元受刑者らの更生支援の意義を再認識したという。

 夢でまた会いたいと願っていた娘は、23日夜も現れなかった。「まだ頑張ってということや」。24日午後に現場を訪れた美則さんは力強く語った。そしていつものように幸姫さんの倒れていた付近の地面をなでながら、ふと表情を和らげた。草の陰にカタツムリを見つけたのだった。

 「幸姫の命が奪われた場所に新しい命が生まれている。幸姫の生まれ変わりかな」