松野さんがまとめた冊子。表紙は坂本地域の水道の絵図

松野さんがまとめた冊子。表紙は坂本地域の水道の絵図

 大津市の郷土史家松野孝一さん(78)=唐崎3丁目=が、江戸時代の水道の地図や古文書を基に、坂本、下阪本、唐崎地域の「水と生活」の歴史を調べて冊子にまとめた。当時の水道管は竹製で、維持が大変だったというが「延暦寺の里坊や財力のある商家が多かった坂本で発達した」と解説している。

 水道の地図は、松野さんが明治時代に書かれた「坂本村史」を調べていて見つけた。

 松野さんによると、竹の水道は「筧(かけい)」「懸樋(かけひ)」などと呼ばれ、坂本地域では1714(正徳4)年に樋大工の株仲間ができ、作料(工賃)などが設定されており、1710年代に発達したとみられるという。竹は切らずに節を抜いて丸のまま地中に埋め、大宮川や権現川(藤の木川)から水を引いた。筧は商家が並ぶ「作り道」や東照宮に続く「権現馬場」に多く、用水路や井戸と併用されていたという。

 同市坂本4丁目の老舗そば店「鶴喜そば」の裏にはコンクリート製のろ過装置が残る。8代目の上延安正さん(82)は「以前は木製で、戦後まで使っていた。雨が降ると砂がたまり、泥抜きが大変だった。みんな苦労していた」と振り返る。近隣には、当時の水道の造りを模した筧を設けている民家もある。

 松野さんは、取水口やろ過装置の存在を掘り下げて調べ、住民の聞き取りも行った。冊子は県立図書館で読める。