信楽列車事故の犠牲者追悼慰霊碑周辺を清掃するJR西日本の従業員ら(甲賀市信楽町黄瀬)

信楽列車事故の犠牲者追悼慰霊碑周辺を清掃するJR西日本の従業員ら(甲賀市信楽町黄瀬)

当時の信楽高原鉄道列車衝突事故の現場

当時の信楽高原鉄道列車衝突事故の現場

 滋賀県甲賀市信楽町で1991年に起きた信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車事故から14日で31年になるのを前に、市職員とJR西日本、SKRの従業員約60人が10日、現場近くの犠牲者追悼慰霊碑周辺で清掃活動を行い、安全への思いを新たにした。

 事故の反省と教訓を引き継ぐため毎年、市の新規採用職員らが参加して行っている。

 SKRの正木仙治郎社長が「安全確保を常に念頭に置いて仕事してほしい」とあいさつ。参加者は慰霊碑に手を合わせた後に約1時間半、周辺を磨いたり、草刈りやごみ拾いをしたりした。

 JR草津駅で勤務する若江谷直志さん(33)は「事故で亡くなったり、けがをされたりした方の家族や友人が訪れた時に心休まる場にしたいと思って清掃した。事故を風化させず、お客さまの安全を最優先に業務にあたる」と話していた。

 終了後、市職員は信楽地域市民センターでSKR従業員らから事故概要の説明を受けた。

 14日には慰霊碑前で犠牲者追悼法要が営まれる。

≪信楽列車事故≫

 1991年5月14日午前10時35分、単線の信楽高原鉄道(SKR)線で乗り入れていたJR西日本の臨時列車とSKRの列車が正面衝突した。JR列車は世界陶芸祭を訪れる客らで乗車率280%と超満員で42人が犠牲になった。信号が赤固定のままSKR列車が出発しながら必要な運転取扱を無視したことや、JR西とSKRがともに相手に連絡をせずに無認可で信号システムを改造していたなど、事故原因や背景には多くの人的な問題があったとされる。