中国の共産党政権が、民主化を叫ぶ学生らを武力弾圧した1989年の天安門事件から、4日で30年を迎えた。

 悲劇が起きた北京の天安門広場はきのう、厳戒態勢が敷かれた。中国政府がいまだ天安門事件に神経をとがらせているのは明らかだ。

 事件後、中国はめざましい変化を遂げたが、指導者たちは民主化に背を向け、意図的に事件を風化させようとしてきた。中国が「負の歴史」に真摯(しんし)に向き合い、民主化に踏み出さない限り、世界から真の大国とは認められまい。

 事件は改革派指導者の胡耀邦・元共産党総書記の死をいたみ、天安門前広場に集まった学生らの行動が発端だ。民主化要求運動に発展し、当局の武力行使で多くの市民が銃撃される惨劇となった。

 死者は319人と発表されたものの、真相は謎のままだ。中国政府は事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置付け、弾圧を正当化してきた。だが人権や言論の自由が普遍的な価値として広く認められている今日、中国政府の姿勢は到底容認できない。

 とりわけ習近平指導部は、国家主席の任期制限を廃して習氏の長期支配を可能にし、強権化を進めている。事件の真相解明や犠牲者の名誉回復、政治改革を求める知識人や活動家らを投獄するなどして事件を封印。事件当時の運動リーダーで、ノーベル平和賞を受賞した民主活動家の劉暁波氏も一昨年事実上、獄中死した。

 民主化を拒絶し、独裁色を強める姿勢は、国際社会の強い失望と警戒感を招いている。

 インターネットなど言論統制も強めている。不都合な事実は議論さえ許されず、悲劇を知らない世代が増えている。結果として事件の風化が進んでいるのは残念だ。

 中国は改革開放政策を推進し、世界第2の経済大国に成長した。経済大国とはいえ、民主主義や自由を認めない国に希望はなく、各国から信頼は得られない。

 中国は10月に建国70年を迎える。人権を尊重する法治国家に脱皮し、名実ともに世界のリーダーになり得るのか。強権体質をみると、前途多難と言うほかない。

 日本政府は天安門事件を「誠に遺憾だと言わざるを得ない」(菅義偉官房長官)と批判した。だが習指導部の対日姿勢の軟化に配慮し、米国が使う「虐殺」といった表現は避けた。今月来日する習氏に対し、安倍晋三首相が民主化や人権問題への取り組みをどのように促すのか、注視したい。