天龍寺の旧境内地で見つかった酒造りの遺構。写真右側に男柱や横木、石があり、左側は造り替える前の男柱の痕跡という(京都市右京区)

天龍寺の旧境内地で見つかった酒造りの遺構。写真右側に男柱や横木、石があり、左側は造り替える前の男柱の痕跡という(京都市右京区)

 京都市右京区の旧天龍寺境内地で、室町時代の15世紀にかけて酒造りをしていた遺構が見つかった。清酒の搾り施設としては最古とみられる男柱跡や、酒をためる甕(かめ)の穴約180基を確認した。調査した民間会社は、現代につながる清酒造りは江戸時代から本格化するが、室町前半にまでさかのぼって行われていた可能性を示すとみる。

 清酒の搾りは、男柱と重しでてこの原理を効かせ、酒槽に入れたもろみに圧力をかけて行う。酒かすと分離させた酒は、垂壺(たれつぼ)で受けた。これまでは、兵庫県伊丹市の発掘調査で見つかった江戸時代の男柱などが最古とされていた。

 見つかった清酒の搾り遺構は、搾りの重しを支える男柱(長さ1メートル)、男柱を固定させる2本の横木(いずれも長さ1・8メートル)の一部。横木の上に石が複数置かれているのも確認した。

 周囲には酒蔵と思われる建物跡の礎石や柱穴があった上、甕を据えた穴(直径0・7メートル前後)が並び、14世紀ごろにつくられた備前焼の甕(200リットル規模)の破片も一部に残っていた。

 酒造り遺構の発掘調査に関わっていた伊丹市立伊丹郷町館の小長谷正治館長は「構造としては伊丹で見つかった江戸期の遺構と類似し、中世に嵯峨で酒の製造が行われていた可能性を示す。ただ、酒造り遺構は近年解明された点も多く、さらなる検証を続けてほしい」と話している。

 室町期の京都は、幕府の規制や保護もあって酒造りが盛んだった。洛中に数多くあった「土倉・酒屋」にとどまらず、室町初代将軍の足利尊氏が創建した天龍寺など寺院境内でも製造していたとされる。

 調査した国際文化財(東京都)は「酒搾りの施設は16世紀後半までに消えて跡地が畑になっており、酒造りは天龍寺創建の14世紀半ばから15世紀ごろまでと推定される。天龍寺が15世紀に土一揆や応仁の乱で甚大な被害を受け、酒造りが難しくなったのではないか」とみる。

 ほかに、洛外でにぎわった中世都市・嵯峨を象徴する同寺の「天下龍門」の痕跡も初めて発見され、門の築地塀と側溝を確認した。溝の埋土に含まれた皿や焼土から15世紀中ごろまでに倒壊したとみられる。発掘調査はマンション建設に伴い、昨年に約700平方メートルを調べていた。