「人生にも踏絵(ふみえ)があるのだから」。キリスト教弾圧を生々しく描いた小説「沈黙」を発表した後、遠藤周作はそんなテーマで講演をした。1966年のことだ▼江戸時代に禁教の手段として使われた踏み絵は、背教の証しに聖画像などを踏ませた。長崎では正月の年中行事にもなり、約200年続いた▼遠藤は「一人ひとり胸に手を当てて考えれば、必ず自分の踏絵というものがある」と語り、踏まずに殉教した立派な人ではなく、踏んでしまった弱者が言いたかったことを小説にしたという▼被爆地の長崎と広島を訪れたローマ教皇フランシスコは絶対的な権威でありながら、貧しい人や弱い人の側に立とうとする姿勢が人気だといわれる。「核兵器のない世界を実現することは可能」と強い言葉で廃絶を迫り、核抑止をきっぱりと否定した▼核の力がなければ自国を守れない―そんな抑止論こそが根拠のない「神話」だとの批判がある。なぜとらわれて、大切なものを踏みつけてしまうのか。そこにあるのも為政者の愚かさだけでなく、弱さなのかもしれない▼米科学誌が公表している「終末時計」は「地球滅亡まであと2分」となり、かつて米ソが水爆開発を競った冷戦時代の最悪レベルに戻ってしまった。ここからもう一度、歩みを始めるときではないか。