昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓。現在も墓にまつられた人の子孫らが拝礼に訪れる(沖縄県今帰仁村運天)

昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓。現在も墓にまつられた人の子孫らが拝礼に訪れる(沖縄県今帰仁村運天)

 昭和初期に京都帝国大(現京都大)の人類学者が、沖縄県今帰仁村の「百按司(ももじゃな)墓」から遺骨を持ち出した問題で、子孫らが遺骨を保管する京大に返還を求めた訴訟の口頭弁論が29日、京都地裁(増森珠美裁判長)であり、原告の照屋寛徳衆院議員(沖縄選挙区)が意見陳述した。

 照屋氏は、沖縄戦で多くの住民が戦火を逃れるため墓に避難したことに触れ「(墓は)住民の命を守り、安置されている先祖の骨とともに新たな命が誕生した場所」と説明。国政調査権を用いた京大への照会に、遺骨返還に関する回答がなく「京大の態度は不誠実だ」と批判した。

 訴状によると、返還を求めているのは、1929(昭和4)年に京都帝大医学部助教授だった故金関丈夫氏が持ち出した26体(男性15体、女性11体)の遺骨。現在も京大が研究材料として、何ら権限なく占有していると主張する。子孫らは遺骨を管理する民法上の祭祀(さいし)承継者にあたるとして、返還を求めている。
 京大側は答弁書で、収集した一部の遺骨の保管を認めた上で、金関氏の収集は「沖縄県庁や県警察部長を通した手続きを行った」として違法性はないと主張。原告側に対し、遺骨と原告との具体的なつながりを示すよう求めている。
 第1回口頭弁論では、百按司墓に埋葬されたとされる琉球王朝を開いた第一尚氏の子孫の亀谷正子さんが意見陳述し、「先祖の遺骨は90年間、歴史も文化も言葉も異なる、異郷の地に置かれ続け、子孫との交流もできずにいる」と訴えた