沖縄県今帰仁村の「百按司(ももじゃな)墓」

沖縄県今帰仁村の「百按司(ももじゃな)墓」

百按司墓とは

 沖縄県の今帰仁村運天の崖の中腹にある墓所。按司とは地方の有力首長の呼称で、「数多くの按司の墓」の意味。16世紀以前に成立したとの見方もあり、漆を塗った家型の木棺など、琉球の葬制を知る上で最古級の資料とされる。村指定文化財。

 京都帝国大医学部解剖学教室助教授だった金関丈夫は昭和4(1929)年、沖縄を訪問。1929年から雑誌「歴史と地理」に連載した「琉球の旅」によると、「他に今一つの心配があった。それはせっかく見つけた骨を首尾よく持って帰れるか否かの問題である。聞くところによれば琉球人は厚葬(注・手厚く葬ること)の風があるのみならず、人骨に関してはさまざまな迷信があるとのことだから、ますます心配になった」と記載。
 1月11日付では「百按司墓に向う。第1号洞より始めて、人骨の採集に着手する。骨は新聞紙に包み、番号を記し、名護より用意して来た大風呂敷に包む。これを山から運び下すのが大変であった。中には文字通りの骨折り騒ぎもある」などと記している。