波多野側の供養塔とされる五輪塔と建立した石柱を見つめる奥村さん(南丹市園部町南八田)

波多野側の供養塔とされる五輪塔と建立した石柱を見つめる奥村さん(南丹市園部町南八田)

 戦国武将・明智光秀の丹波攻めにまつわる京都府南丹市園部町南八田の五輪塔に、住民が石の標柱を建立した。光秀と兵庫県丹波篠山市の八上城を拠点にした波多野氏との戦いで戦死者を供養するために作られた塔を、住民は郷土の歴史として後世に伝えたいとしている。

 織田信長の命を受けて丹波攻めを行った光秀は兵庫県丹波市の黒井城を攻めた際、当初、味方だった波多野秀治に裏切られ退却。光秀は秀治が籠城する八上城を攻め、1579年に秀治は生け捕りにされ、滋賀県安土で磔(はりつけ)になったとされる。
 南八田の伝承では集落を流れる八田川をはさんで明智と波多野の戦いがあり、双方に多くの戦死者が出た。明智の供養塔とされる五輪塔が曹源寺に、波多野側が八田川のほとりに安置されている。
 石柱を建立したのは丹波史談会の会員で奥村覺さん(94)。自宅近くにある波多野側の五輪塔を知ってもらおうと、「南八田五輪塔」と刻んだ、高さ1メートルの石柱を立てた。
 また、奥村さんは自宅近くに戦乱のない世の中を願って両者の名前をとった「明波の庭」と名付けたスペースも作り、沙羅の木と呼ばれるナツツバキや柿などを植えている。
 奥村さんは「合戦で川は血の海になったと伝わる。貴重な五輪塔を伝えることにつながれば」と話した。