1年前の「あの日」を振り返る川端さん。トラックが止まっている更地にはかつて稲葉さん夫妻の自宅が、工事事務所が立つ場所には笹井さんの母屋と離れがあった(綾部市上杉町・施福寺集落)

1年前の「あの日」を振り返る川端さん。トラックが止まっている更地にはかつて稲葉さん夫妻の自宅が、工事事務所が立つ場所には笹井さんの母屋と離れがあった(綾部市上杉町・施福寺集落)

 関連死を含め死者275人を出した西日本豪雨から6、7日で1年を迎える。京都府内では5人が死亡し、うち3人は綾部市上杉町・施福寺集落の土砂崩れで犠牲となった。住民、遺族は「救えなかった命」と今も向き合い続けている。

 高さ25メートル、幅25メートルにわたって崩れた裏山が赤茶けた肌を見せていた。両脇の斜面も崩落の危険があるが、対策工事は来年1月までかかる。「崩れんでくれ」。そばに住む川端国夫さん(71)は不安を口にする。

 昨年7月7日未明、施福寺集落を1時間50ミリ超の豪雨が襲った。午前4時20分すぎ、裏山が崩壊し、大量の土砂が真下の民家2軒を破壊。自宅にいた稲葉利夫さん(80)と妻英子さん(76)、笹井定昭さん(69)方の離れにいた三男孝信さん(36)が死亡した。

 川端さんは当時自治会長だったが、土砂崩れ発生時は就寝中で異変に気づけなかった。「何も分かっていなかった」。土砂崩れは、裏山に2日間の長雨がしみ込み、豪雨が最後の一撃となって起きた。

 「何かすべきことはないか」。今年2月、川端さんら住民は府の支援を得て、土壌に含まれる雨量や「山水が濁る」といった前兆をきっかけにどこへ逃げるかを定めた避難行動計画を作った。「あの日から『何があっても避難』に意識が変わった。他の集落に教訓をどう伝えていくか」。川端さんは簡易雨量計もペットボトルで作り、自宅前につるしている。

 「忘れちゃいけない後悔です」。そう話す塩尻佳代さん(56)は1年前、近所の稲葉夫妻と土砂崩れが起きる瞬間まで電話で話した。「一緒に避難しませんか」と誘うと、英子さんは「私たちも行くわ」と応じた。その直後、土砂崩れが起き、電話は切れた。「あの時もっと早く電話をかけていれば」。雨が降るたびに思い出し、現場にはつらくて今も行けない。

 土砂崩れが起きる前、定昭さんは孝信さんといつも夕食を囲んでいた。「あの日から時間は止まったまま」。土砂は離れに流れ込み、1階にいた孝信さんの命を奪った。「避難指示に従って避難しておけばよかった。せめて、離れの2階で寝るように言ってやれば…。助けられなくて悪かった」。自分を責め続ける。

 現場では7日午前9時から追悼式が営まれ、定昭さんは遺族代表として言葉を述べる。「これからも、このつらい思いを一生抱えて生きていく。二度と悲しい思いをする人が出ないよう、災害の怖さと教訓を伝えたい」