ひばりさんの歌を映像とともに紹介する山上さん(右端)と草笛さん(右から2人目)=大阪市・アートエリアB1

ひばりさんの歌を映像とともに紹介する山上さん(右端)と草笛さん(右から2人目)=大阪市・アートエリアB1

 国民的歌手と言われた美空ひばりさんが52歳で亡くなって6月24日で30年を迎えた。時代は平成が終わり、新たな令和の幕が開けた。敗戦後の焼け跡で天才少女として歌声を響かせ、数々のヒット曲を飛ばしたが、栄光ばかりの人生ではなかった。最後は病魔と闘いながら「不死鳥」のように歌い、昭和の終焉とともに旅立った。京都ともゆかりが深かった「女王」の存在は今、何を物語るのか。

 19歳の女子大生がひばりさんを語る。そんな催しが命日の翌日に当たる6月25日、大阪市内であった。

 「iTunes(アイチューンズ)で『愛燦燦(さんさん)』を聴いて、はまったんです」。企画した大阪音楽大の2年山上あゆみさん(19)は音楽配信ソフトでの出合いを語った。「先日、家族旅行の時に車中で何を聴くか話し合って、父は演歌を希望したんですが姉は反対したので、私が美空ひばりさんにしようって言ったら誰も反対しなかった。年代を問わず支持される存在だとあらためて知りました」と企画の理由を話した。

 ひばりさんは、43年のキャリアで1931曲を録音したとされる。

 山上さんはその中から「家族愛」と「歌唱力」が際立つと思う歌12曲を選び、ユーチューブの映像を大画面に映し出して紹介した。演歌歌手の草笛四郎さんがゲストとして解説を加えた。「愛するひばりさんに、こんな若い人が関心を向けてくれて本当にうれしい」と草笛さんは喜んだ。

 初期の「悲しき口笛」は、10代の頃の歌声が映像とともに映し出された。2010年には、ひばりさんの友人でもあった京都在住の岡林信康さんがジャズピアニストの山下洋輔さんとともにカバーした楽曲。「歌声が大人の頃と同じに聞こえる」と山上さんが指摘すると草笛さんは「低音もすごいでしょ」と返した。

 ひばりさんは京都に邸宅を構えていた。「美空ひばり公式完全データブック」(角川書店)によると、ひばりさんが21歳の1958年8月、東映と専属契約を結んだタイミングで、京都市左京区岡崎に邸宅を構えた。61年7月には留守中に泥棒が屋根裏で1週間潜み、逮捕される事件もあった。64年に国税庁から5年間の所得税滞納分と追徴金計7千万円の督促があり、「岡崎別邸」を処分して支払ったと記されている。

 起伏の大きい人生だった。暴力団とのつながりが深く、弟が逮捕されて窮地に立たされたことも。俳優の小林旭さんと62年に結婚するが、1年半後に離婚した。

 66年発表の「悲しい酒」。山上さんは「どの映像を見ても、めっちゃ泣いてます」と関心すると、草笛さんは「つらいこともたくさんあった方ですから。人生を思い出すと自然に涙があふれてくると語っていました」と説明した。86年に発表された小椋佳さん作詩・作曲の「愛燦燦」は、山上さんが「落ち込んだ時に聴くと励まされる」と触れた。

 高齢のファンが多く来場した。「人生一路」が再生されると拍手で合いの手を入れ、山上さんは「そういうのがあるんですね」と笑った。古賀政男作曲の「柔」のイントロが始まると、ファンは大きなため息とともに「待ってました」と映像に向かって声を掛けた。最前列のファンが歌の背景を補足する場面もあり、ひばりさんを通して世代を超えた交流の場になった。

 ■昭和を体現、心に生命吹き込む歌の力 山折哲雄氏に聞く

 ひばりさんとは戦後日本にとってどのような存在だったのか。「美空ひばりと日本人」の著書がある国際日本文化研究センターの元所長、山折哲雄さん(88)に聞いた。

 昭和後期の象徴と言っていい。前期は白馬にまたがる軍人としての昭和天皇。その後も天皇の存在は大きかったが、政治経済や国民の意識まで全てを代表する存在としては美空ひばり以外にはいないと今、あらためて思う。演歌の女王にはとどまらない。その点で、ひばりを考えることは、平成の30年間、私たちは昭和をどう受け止めたか。あるいは忘れたかという問いと向き合うことになる。

 ひばりの生涯は大きく3期に分かれる。初期は「東京キッド」のように、戦後日本を浮かび上がらせる。中期は「悲しい酒」に代表される。経済成長、列島改造に沸く一方、都会に出た出稼ぎ労働者が疲れ切って一人アパートで寂しい食事を取る。そんな時代の陰と陽の意識を深いところからすくい上げた。晩期は「川の流れのように」。成長に陰りが差し、いろんな面で限界が見え始めた時、万葉集の挽歌や方丈記に連なる民族の心情を映し出した。このように一生が時代を示すような歌手は、平成にはついに現れなかった。

 日本人の「歌う力」が衰えたことが理由として挙げられるだろう。作詞家の阿久悠は晩年に「歌が空を飛ばなくなった」と自著で書いたが、これは演歌や歌謡曲にとどまらず、万葉集からつながる日本人の語りの力が衰退してきたことを指摘した言葉だと思う。歌う力とは、心に生命を吹き込んで言葉にする力。人間存在を外部に表現する力と言ってもいいだろう。これが明治になってもなお続いていたが、徐々に弱まり、ひばりの死去とともにじわじわと喪失されてきた。

 この30年で、喜怒哀楽や悩みに目を注ぐ精神的余裕が失われてきた。この危機的時代をどう救うのか。

 ひばりについての著書を出した後、公演に招待されたが、彼女の体調不良で会うことはかなわなかった。だが、生で何度も歌に接した。あの声音には人々を癒やす魅力があった。私は宗教者の鈴木大拙とダライ・ラマとも会って言葉を交わしたことがあるが、この3人には共通の「エロス」があった。それは「性的な」という狭い意味ではなく、高いところから関係を調整する宗教的な性格に近い。ひばりは、いまだ正当に評価されているとは言いがたい。その存在を見つめ直すことは、これからを考えることにつながっている。