子どもたちが学ぶ京都朝鮮第一初級学校(京都市南区、閉校)に、差別を煽動するヘイトスピーチが浴びせられた事件から10年。子どもたちは若者に成長したが、心に深く傷が刻まれたことを本紙の連載記事が伝えている。

 2016年にヘイトスピーチ対策法が施行されたのに、差別言動はおさまらず、むしろネットや政治へ広がりをみせている。

 あらためてヘイトスピーチの実態を直視し、差別言動を封じる対策を考えるべきだ。

 先月の京都地裁判決が、その思いを強くさせた。最初の事件から時を経た17年4月、同学校の跡地近くで差別的発言をしたとして名誉毀損(きそん)罪に問われた「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の元幹部に罰金刑が言い渡された。

 ヘイトスピーチが問われた裁判で、侮辱罪より刑罰の重い名誉毀損罪が適用されたのは初めてといい、一定の評価はできよう。

 しかし、一方で判決は被告の発言について、日本人拉致の事実関係を明らかにする公益目的があったと認め、差別目的を否定した。

 学校を運営する京都朝鮮学園側が「表現の自由を隠れみのにした差別的発言を許す不当判決」と批判したのは当然だ。拉致問題と学校は結びつかず、公益目的というのは納得できない。

 法学者からも疑問が出ている。さらに、差別的発言を刑法で規制する限界を指摘し、厳密な要件を設けた上で規制強化の立法を検討すべきとの声が聞かれる。

 事件は対策法施行後に起きており、禁止規定や罰則のない対策法の実効性が問われたとも言える。

 川崎市は先月、公共の場でのヘイトスピーチに刑事罰を科す条例案を市議会に提出した。国の対応が遅いためで、成立すれば全国初の条例となる。

 対策法に罰則が盛り込まれなかったのは、「表現の自由」を侵害する恐れがあるとの考えからだ。しかし、差別発言が表現の自由の名の下で守られ、人権を侵害していいはずがない。

 ヘイトスピーチの基準を明確にし、何よりも差別言動を受ける側の実態に目を向けた罰則を検討すべきではないか。

 昨年、国連人種差別撤廃委員会は、対策法を不十分として禁止と制裁を加えるよう勧告しており、国内の議論を進める必要がある。

 ネットをみると、差別や偏見、罵倒の言葉がはびこっている。ヘイトスピーチは社会のゆがみの反映と言えよう。私たち自身の問題として向き合わないといけない。