金属製カバーをかぶせられた赤穂義士46人の墓。建立から300年がたち、風化や崩落が進む墓碑を風雨から守る(京都市山科区・瑞光院)

金属製カバーをかぶせられた赤穂義士46人の墓。建立から300年がたち、風化や崩落が進む墓碑を風雨から守る(京都市山科区・瑞光院)

「山科義士まつり」の義士行列で、先頭を切る「大石内蔵助」。「火事かぶと」姿は演劇や映像作品の「忠臣蔵」でもおなじみだ(2011年撮影)

「山科義士まつり」の義士行列で、先頭を切る「大石内蔵助」。「火事かぶと」姿は演劇や映像作品の「忠臣蔵」でもおなじみだ(2011年撮影)

 「忠臣蔵」で知られる元禄赤穂事件にゆかりの深い瑞光院(京都市山科区安朱堂ノ後町)は、境内にある赤穂義士46人の墓に、風雨から守る金属製カバーをかぶせた。建立から300年がたち老朽化が進む墓石を、義士を率いた大石内蔵助のトレードマーク「火事かぶと」を思わせる堅い防備で防ぐ。旧暦の12月14日は吉良邸討ち入り決行の日。

 瑞光院は赤穂藩を治めた浅野家と関係が深く、討ち入り後に切腹した46人の墓碑は十七回忌の1719(享保4)年、以前から同院にあった義士の遺髪塔や藩主・浅野内匠頭の墓と並べて建てられた。1962(昭和37)年に同院がかつての所在地(上京区堀川鞍馬口付近)から移転した際に一緒に移された。
 しかし墓石の風化は著しく、近年では石質が変化して大きく膨らんだり、俗名や戒名が刻まれた面が崩れ落ちたりてしまう墓石も。同院と檀家たちは2年ほど前から本格的に対策を検討していた。
 カバーはさびに強いステンレス製。檀家が知りあいの鉄工所に製作を依頼した特注品で、墓石を1基ずつすっぽりと覆うようにかぶせられ、風雨から守り崩壊を防ぐ。色や装飾のないシンプルな形状は墓の見た目を妨げず、違和感はない。
 前田宗俊住職(46)は「昔から伝わる遺構を守り、後世に引き継ぐ対策ができた」と胸をなで下ろす。毎年12月14日に区内一帯で開かれる「山科義士まつり」では、地域を練り歩く義士行列のうち、大石役の参加者らが事前に同院を訪れ、墓前で手を合わせる。
 檀家総代の定祐國夫さん(76)は「長年の課題で早くなんとかしたかった。大石さんも喜んでおられるのでは」と笑顔で話した。