今季ホーム最終の千葉戦で、試合前に声援を送る大勢のサポーター(11月16日、京都市右京区・たけびしスタジアム京都)

 サッカーJ2の京都サンガFCは来季から、京都市右京区のたけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)から亀岡市の府立京都スタジアムに本拠地を移す。7日付本紙の特集記事「西京極ありがとう」で紹介しきれなかったOB3人の思い出話を詳報する。

通算177勝、昇格3度・降格4度

 西京極陸上競技場は戦時中の1942年に開場。京都パープルサンガが94年に発足して以来、ホームスタジアムとしてきた。96年にJFLからJリーグに昇格し、2部制になった99年以降、4度の降格と3度の昇格を経験した。

 ピッチでは、草創期のラモス瑠偉から、今季限りで引退した闘莉王まで、多くの日本代表もプレー。三浦知や柳沢、闘莉王のJ通算100ゴール目はこの地で生まれた。朴智星(パクチソン)や崔龍洙(チェヨンス)、李正秀(イジョンス)ら歴代の韓国代表も存在感を見せた。

 西京極でのサンガの成績は177勝159敗90分け(アウェーを含む全成績は354勝371敗181分け)。今季はホームで15試合連続負けなしのクラブ記録をつくった。

 今年8月から10年間の命名権契約で、通称が「たけびしスタジアム京都」に変わった。35年ぶりの大改修のため、来年の大半を休業する予定だが、今後も西京極で一部の試合を行うとみられる。

09年 J1残留決定弾
サンガ強化部 中山博貴さん(33)【2004年~15年在籍】

中山博貴さん

 2007年のJ1広島との入れ替え戦は、12月の平日のナイターで寒かったけど、観客が1万2637人も入ってくれました。すごい雰囲気だったのを覚えています。入れ替え戦は2試合ともフル出場し、昇格に貢献できてうれしかった。

 09年のホーム最終戦で浦和に1―0で勝った試合は、僕が点を取って残留が決まりました。この試合は1万8千人くらい入った。サンガにとって100勝目。当時浦和のトゥーさん(闘莉王)と柳沢敦さんが競り合い、裏に僕が走り込んでヘディングで決めた。J1で通算1万4千ゴールになり(運を)持っているなと思いました。17連敗とかいろんな歴史があって、1勝ずつ積み重ねてきた中で、自分が節目に関われたのは印象深いです。

 12年の昇格プレーオフ(PO)準決勝で大分に0―4で負けた試合は、サポーターをがっかりさせてしまった。リーグ最終戦で自動昇格圏の2位から落ち、POに回った。シーズン終了後に手術をして、PO決勝は病室で見ました。どん底の気持ちだった。

 引退した15年は、右膝のけがで1試合も出ていませんでした。石丸監督(当時)がシーズン最後の試合で控えに入れてくれて。ベンチの横でウオーミングアップしている時もサポーターの声が耳に入っていた。ロスタイムに交代で出て、オグリさん(大黒将志)の得点で勝った。苦しいシーズンだったが、僕のために勝って終わろうという思いを、サポーターもチームのみんなも持ってくれた。一番の思い出の試合かもしれない。恵まれているなと思いました。

 夏の西京極は蒸し暑くて、相手にとってやりにくいスタジアムかなと。夏はほぼ勝った印象がある。サンガでしかプロをやってないので、ホームと言えば西京極です。

 引退してから最初は普及部に入って、ホームゲーム前にサッカー検定や親子サッカーなどいろんな経験をさせてもらった。試合開始の何時間も前にブースをつくって、いろんな人が動いて試合を成り立たせてくれている。ピッチ外でいろんな努力がされていることを強く感じています。

05年 J2独走で優勝
サンガ普及部 斉藤大介さん(39)【1999年~2008年在籍】

斉藤大介さん

 2007年のJ1広島との入れ替え戦がとても印象に残っています。田原選手の2ゴールで2―1で勝った。ホームなので、絶対に勝たないといけない試合だった。サポーターもたくさん入って、緊張感もあったが、やりがいはすごくあった。

 天皇杯で優勝した2002年度は、朴智星、黒部、松井らそうそうたるメンバー。朴智星のPSV(オランダ)移籍が決まっていて、勝って送り出そうとチームがまとまっていた。決勝があった国立競技場は(鹿島カラーの)赤色で染まっていたけど、京都からもすごく応援に来てもらった。サンガの25年の歴史の中で、タイトルを取ったのは大きい。若手と中堅、ベテランがまとまっていた。次の年も期待されたが、結果が出せなかった。振り返ると、天皇杯を取って、安心感というか、これでいけるんじゃないかという気持ちになってしまったのではないかと思う。

 柱谷監督の時の2005年は、ホームの水戸戦で3―1に勝って、昇格が決まりました。昇格せなあかんと勢いがあって、スタジアムの盛り上がりを感じた。あのシーズンは僕と米田選手がボランチで組んでずっと出ていた。圧倒して優勝し、J1に昇格したといういい年だった。9人で守備ブロックをつくり、FWのパウリーニョとアレモンにどうつなぐかというサッカー。堅守速攻でほぼ勝った。ただ1年で落ちてしまい、昇降格を繰り返してしまった。J2でやってきたサッカーが、J1で歯が立たなかった。自信をなくして、負のスパイラルに陥った。サポーターは、J1で勝つ姿を期待していると思うし、申し訳なかった。

 西京極には今でこそ電光掲示板があるが、僕らの時はなかった。ホームとアウェーのサポーター席の場所も、入れ替わる前だった。サポーターは温かくて、連敗しても「次頑張ろう」と前向きな言葉をかけてもらいました。陸上のトラックがあってちょっと見にくかったりもするけど、長年やってきたスタジアムなので、メインのホームでなくなるのは非常に寂しい気持ちです。

95年 初昇格への一戦
“ミスターサンガ” 野口裕司さん(47)【1994年~2002年在籍】

野口裕司さん

 JFLだったプロ2年目の1995年、Jリーグ昇格のライバルだった鳥栖との試合は、昇格の懸かる大事な試合でした。みんなとても気合が入っていた。フル出場し、後半にバウタザールのゴールで追いついてPK戦で勝った。2万人ぐらい入って、観客の多さにびっくりした。注目度の高さや声量も全然違う。PKは確か志願制。当時自分でPKを蹴るぐらい自信もあったけど、怖くて手を挙げられなかった。

 17連敗をストップした1996年の浦和戦は、僕がアレシャンドレのゴールをアシストした。2000年、神戸戦でカズさん(三浦知)の100ゴールと、101ゴールもアシストして逆転勝ちしました。僕じゃないけど、カズさんがクロアチアから移籍して初めての神戸戦(1999年)で決めたゴールも強烈に残ってる。世界のカズと一緒にプレーし、お客さんも満員。カズさんの存在感はすごかった。

 あとは自分にとって最後の西京極になった2002年の最終節かなあ。千葉に3―2で逆転勝ち。肉離れが治って、このシーズン最初の試合だった。監督だったゲルト(エンゲルス)が最後だからって、先発で出してくれた。めったにないボランチで石丸と組んで。黒部、チソン(朴智星)、大輔(松井)がそろい踏みで得点した。これからの時代を象徴するような若手が出てきた。最後の大輔の得点は、僕のパスから慎吾(鈴木)のクロスをヘディングで決めた。その後交代。久々の試合だったので、自分の最後とかも思わず、チームが勝つことだけ考えていた。

 J1から落ちてJ2で迎えた2001年の開幕戦(対山形)も思い出深い。1―2で負けていたのを自分のスルーパスでチソンがロスタイムに決めた。

 他には、1994年の西京極最初の川崎製鉄戦で、試合中にメイン席の屋根が突風ではがれて、30分ぐらい試合が中断したんです。伝統あるスタジアムだなと思いました。

 サポーターは温かい印象が一番。負けても負けても信じてついてきてくれた。次頑張ろうぜ、大丈夫という声が多かったですね。