山口悟郎氏

山口悟郎氏

そりを手に歩く妻と子供たち

そりを手に歩く妻と子供たち

スキーやそりをした思い出のエノキの大木

スキーやそりをした思い出のエノキの大木

旧自宅前で

旧自宅前で

 私は京都で生まれ、京都御苑(京都市上京区)のすぐ近くで育った。地元の人は京都御苑全体を御所と呼ぶ。近くて広い御所は私にとって絶好の遊び場だった。

 一番古い思い出は幼稚園の頃。夜、懐中電灯と虫かごを持って、父親と一緒に真っ暗な御所にジゼミ(地蝉)取りに行く。光を当てると、地中から出て大木を登り始めたものや、羽化が終わったばかりで、まだ黄緑がかった白い羽を縮めているものなどが、数多くいた。それらを虫かごに入れて持ち帰り、赤ん坊用の小さな蚊帳の中に放しておくと、翌朝、茶色い蝉になって所狭しと蚊帳にしがみついていた。全てが私より年上のアブラゼミだ。

 小学校に上がると、父から蝶(ちょう)が決まったコースを通ることを教わった。当時の御所にはアオスジアゲハがたくさんいて、同じ場所に何匹も繰り返し集まって来た。いろんな虫を捕まえて、夏休みの宿題に昆虫標本をつくった。蝉の抜け殻の背中の破れた部分を母親に縫ってもらい、標本に並べたら先生にとても褒められた。堺町御門の近くにちょっとした湿地があり、カエルがたくさんいた。その横の九條池でイシガメを捕まえて飼ったこともある。たいていは、しばらくして元の場所に放してやった。

 大学生になり、今出川にあるキャンパスには御所をぬけて自転車で通った。雨の日は歩きだ。古い木の皮が雨にぬれ、表面のコケや土が混ざった独特のにおいがした。梅雨の初めには、燕(つばめ)が小雨の中を縦横無尽に飛び回り、子虫を捕らえる。今では、芝生の周りに白い石が愛想なく並んでいるが、その頃は半円形の低い鉄柵が巡らされており、その上に並んだ燕がかわいくて、眺めているうちに何度も授業に遅れた。

 御所は所属していたスキー部のオフシーズンの練習場所でもあった。御所に集合し、先輩の命令一下、あちこちに走りに行く。スキー部で決めた1周3・5キロのランニングコースがあった。今出川辺りから近衛池、皇宮警察、九條池を経由し梨木神社の横を通って戻ってくる。砂利あり、土あり、アスファルトありの走りにくいコースだ。タイムレースと称し、何周も走らされた。今でもそこを歩いたり、たまには走ってみたりする。気持ちは当時のままだが、体は従わない。

 やがて就職し、15年の東京勤務を経て京都に戻った。子供たちも私と同じように御所で虫を捕まえたり、凧(たこ)あげをしたりして育った。大雪が降った日は、子供たちをスイスで買った木のそりに乗せて御所まで連れて行った。娘は大きなエノキの根元で初めてスキーをした。

 いま、子供たちが京都に帰ってくると、彼らの幼い子供たちも同じように御所で遊ぶ。そんな孫たちを眺めると、自分も半人前ながら年寄りになったと感じる。時は流れた。御所の老木は害虫や台風で倒れる前に、最近多くが切り倒されてしまった。

 御苑には立派な迎賓館もでき、京都商工会議所を代表して何度か海外からの賓客をもてなした。周りの景色や私の役目も少しずつ変わっていくようだが、御所への思いは変わらない。私にとって、その景色はバージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」のようである。

 山口 悟郎(やまぐち・ごろう)同志社大工学部卒。1978年、京都セラミツク(現・京セラ)入社。2013年、社長。17年から現職。京都商工会議所副会頭。京都市出身。65歳。

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 ウイークリーコラムは、京都ゆかりの経営者や研究者、ビジネスの支援者たちが週替わりで日々の仕事や暮らしに関する話題をそれぞれの経験や思いとともに届けます。