新型コロナウイルス禍により、私たちの行動は長らく制限されている。これ以前の私は可能な限り当社の海外拠点へ足を運び、自ら現場の情報を得ることを大切にしていた。こうした考えは、入社間もない時代に乗り越えたいくつもの修羅場経験に基づいている。

 1971年、堀場製作所にとって最初の海外拠点であるアメリカのオルソン・ホリバ社に入社し、現地初の日本人サービスマンとして製品の修理を担当した。しかし渡米以来、京都の本社から送られてきた製品の故障トラブルが絶えなかった。本社にそのことを連絡するも、「日本ではそのようなトラブルは起きていない」との一点張りだ。当時の社長であり創業者の息子である私が解決に導けなければ、現地の従業員からの信頼を完全に失ってしまう。これが入社して初めての修羅場経験だ。それからは毎日徹夜で原因の追究に徹した。その結果、空輸時の気圧や材質の問題であることを突き止め、解決に導くことができた。この地道な努力が実を結び、アメリカ人の上司や同僚からの信頼を得ることができたのだと思う。この経験を通して、「本社や経営陣は、最前線である現場の本当の実情を知らないし、知らされていない」ということが明確となり、現場の的確な情報を把握していなければ、いずれ重要な経営判断を誤ることになると確信した。こうした危機感を抱くことを常に意識し、それからは現場主義を徹底している。

 92年に社長に就任して以降、積極的なM&Aを通じて当社は大きく成長を遂げたが、買収した会社には、大小問わず早いタイミングで現地を訪れるよう心がけている。それは、誠意ある行動と「Face to Face」のコミュニケーションを通じて経営者の本気度を見せ、信頼してもらうことが大事だと考えるからだ。また当社のM&Aは、そのほとんどが先方から「HORIBAと一緒に仕事がしたい」と提案を持ちかけてくれている。海外の非常に高い技術力をもった企業がなぜわれわれの傘下に来てくれるのか。話を聞くうちに、社是である「おもしろおかしく」に代表される企業文化への共感はもちろんのこと、京都という土地柄や歴史、文化への憧憬(しょうけい)も垣間見えた。

 京都の、そして当社の本質を真に理解してもらうには、身をもって体験してもらうに限る。海外グループ会社の幹部が来日した際には、彼らを私が贔屓(ひいき)にしている割烹(かっぽう)に連れていく。そして必ずカウンターに座る。板前が新鮮な材料を使用し、一人一人の客の好みとペースに合わせた料理をベストなタイミングで提供する臨場感も味わってもらうのだ。「一流の顧客に一流のサービスで応える。これが京都文化の神髄であり、HORIBAの経営思想だ」と言うと、彼らは心から納得してくれるのだ。このように京都が持つ文化は、グローバルな事業展開でも大きな助けになっている。

 京都とアメリカという二つの心棒をもつからこそ、私にしか発信できない経験や価値観があるはずだと自負している。また近々海外の各拠点を訪れる日が来ることを心待ちにしている。やはり私は現場と現地の人々が好きだ。京都から世界へ、経営者として、そして伝道者としての旅はこれからも続く。

 ほりば・あつし 1948年生まれ。71年に堀場製作所の米国ジョイントベンチャー、オルソン・ホリバ社に入社。77年にカリフォルニア大学アーバイン校電子工学科修士課程を修了して堀場製作所に帰任。92年に代表取締役社長に就任、2005年より代表取締役会長を兼務し、18年より現職。経済産業省の産業構造審議会・製造産業分科会委員、内閣府の国と行政の在り方に関する懇談会委員など、政府の公的委員会にも委員として招聘されている。一般社団法人日本電気計測機器工業会会長、一般社団法人日本分析機器工業会会長を歴任し現在では公益財団法人関西経済連合会副会長、京都商工会議所副会頭などを務め、産業界や地元経済の活性化にも尽力している。フランスの科学技術と産業発展への貢献が評価され、1998年に国家功労章オフィシエ、2010年にレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した。また同国モンペリエ大学より15年に名誉博士号を授与されている。その後、19年旭日中綬章を受章。