「梅の名所」として知られる北野天満宮で12月中旬、今季初めての梅が開花し小さな春を告げました。初咲きは、“雲龍梅”という龍のようにうねった枝振りが特徴的な品種の可憐な白梅でした。

花開いた雲龍梅(12月20日、京都市上京区・北野天満宮)

春告げる高潔な君子の象徴

 梅は昔から松竹とともに「最寒三友(さいかんのさんゆう)」と称され、寒い冬でも花開き、芳しい香りを放つ春を告げる花であり、高潔な君子の象徴とされてきました。文人画の画題にも多くとられ、天神さまの愛した花としても有名です。

狩野探幽・常信筆 御神影(北野天満宮蔵)

 こちらの三幅対は、真ん中の束帯天神像を江戸狩野の祖、狩野探幽(1602〜74年)が、左右の松と梅を探幽の甥にあたる狩野常信(1636~1713年)が描いた作品です。作風の統一から合作かと思われますが、北野天満宮に残る記録より同一時期に作られたものではなく、左右の松梅はのちに補われたのであったことがわかります。

紅梅でなく白梅…描き直し?

 宝永2(1705)年に長谷川周防守重章という人物が北野の社僧、祠官筆頭の松梅院善覚に宛てた寄進状には、「探幽による天神像を北野天満宮に奉納するにあたり、常信に松梅図を描かせたのだが、紅梅ではなく白梅を描いてきてしまった。お気に召さなければ描き直させてから献上するがいかがいたしましょう」という相談を持ちかける内容が書かれています。その後のやりとりに関しては不明ですが、奉納された梅は紅梅となっており、描き直しが行われたであろうことが推測されます。

 天神様に捧げる梅が必ずしも紅梅でなければならないという訳ではないのですが、有名な「東風吹かば…」の和歌が詠まれ、飛梅伝説の生まれた菅原道真公の邸宅は紅梅殿と呼ばれていたため、天神さまの愛した梅=紅梅というイメージが形成されたのだと考えられます。

狩野常信筆 御神影(北野天満宮蔵)

常信の確固たる方程式?!

 北野天満宮にはもう一つ、左右の松梅を描いた狩野常信筆による三幅対の御神影も奉納されています。こちらは真ん中に渡唐天神像を配し、左右に松梅という構図としては同様のものなのですが、探幽に合わせたものとは異なる作風の松梅が描かれ、前者が探幽に寄せて描かれたものであることがうかがえます。

 こちらも描かれているのは白梅。常信の中では、天神さまには白梅という確固たる方程式があったのかもしれません。

狩野常信筆 紅梅部分

 さて、前者の作品を今一度詳細に見てみると、紅梅に描き直された梅の花の中に、1つだけ混ざる白梅を見つけることができます。

 白梅を紅梅に描き直した際にうっかり忘れられたものなのか、はたまた依頼主の指示には従うが、やはり白梅ではないかとの常信の一滴の主張として描かれたものなのか。真実は当人のみが知ることではありますが、推理心を刺激されるたった一輪の白梅の蕾です。

北野天満宮