京都には「五花街」がある。祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つの花街だ。花街が最も華やかになるのは、をどり(おどり)の会で賑わう春ではないだろうか。

 最も長い歴史を誇るのが、祇園甲部の「都をどり」である。「都をどり」と聞くだけで、「みやこをどりは、よーいやさー」という声が響いてくるような気持ちになる人も少なくないかもしれない。

 

明治の人も熱狂!?
 

 都をどりの歴史は、1872(明治5)年に開催された第1回京都博覧会で、「附博覧」として、芸妓、舞妓の舞を披露したことに始まるという。

 現代でも京都の町なかで芸妓さんや舞妓さんをお見かけすると、何か運がいいと感じるし、都をどり以外でその芸を拝見することは少ない。さらに、舞台いっぱい舞妓さんの舞、という華やかさは都をどりならではだと思われるので、明治の人々がいかに熱狂して楽しまれたか想像に難くない。

 この芸妓、舞妓の群舞を考案したのは、三世井上八千代さんであるとのことだ。

都をどりの大ざらえで、フィナーレに勢ぞろいして踊る芸舞妓たち(2022年3月31日、京都市東山区・南座) / Photo by 安達雅文

 私がはじめて都をどりを観たのは、大学院時代、祇園の小料理屋さんでアルバイトをしている友人にチケットをプレゼントしてもらってのことだった。まずお茶席に行って、舞妓さんのお点前でお茶とお菓子をいただき、いよいよ席についた。なんと、私たち以外、同じフロアの全員が外国人観光客だった。みなさま、固唾を飲んで、という表現がぴったりなほど、ものすごく熱心にご覧になっていて、圧倒される思いがした。

 当代の五世井上八千代さんにお会いする機会があったとき、「都をどりの観客に外国人が目立つようになったのはいつ頃からですか?」とお尋ねした。すると、思いがけない返事が返ってきた。

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