1957年4月、マルセル・デュシャン(1887~1968年)は「創造的行為」と題する講演を行いました。以下はその結びの段落です。

 つまるところ、創造的行為はアーティストだけでは果たされません。鑑賞者が、作品の内なる特質を解読し、解釈することによって作品を外界に接触させ、かくして自らの貢献を創造的行為に加えるのです。このことは、後世が最終的な判断を下し、忘れられたアーティストを折々に復権させることによって、さらに明らかになることでしょう。*1

 受け手の重要性については、その後、様々な文学者や哲学者が論じることになります。サミュエル・ベケットが「だれが話そうとかまわないではないか」と書き、ウンベルト・エーコが「開かれた作品」を、ロラン・バルトが「作者の死」を、ミシェル・フーコーが「作者とは何か?」を世に問うたのです。必ずしもアートについてではなく、相異なる議論であるとはいえ、いずれも作品と受け手を作者よりも上に置いています。いまでこそ「なるほど」と思える指摘ですが、当時はずいぶん過激な主張と思われたことでしょう。

マルセル・デュシャン

現代アートは読むべきテキスト
 

 この連載では、デュシャンの主張に則って、様々な現代アート作品を「解読し、解釈」してゆきます。現代アートは美しさを愛でるためのものではなく、作品に込められた知的なメッセージを読むためのものだからです。美から知へ。見るから読むへ。これについても、デュシャンは明快な発言を残しています。

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