出来合いの小便器を出品

 マルセル・デュシャンの功績の中で、最も重要なのは「レディメイド」概念の創出です。

 1917年、デュシャンは出来合いの男性用小便器を購入。年号と「R. Mutt」という偽の署名を記し、「Fountain」(泉あるいは噴水)と名づけ、ある公募展に応募しました。美術と言えば絵画と彫刻しか存在しなかった時代ですから、主催団体の理事たちは困惑し、激論の挙げ句に出展を拒否します。応募書類に不備はなく、出展費も支払われているから断る理由はない、と展示に賛成した少数派の理事は憤然として辞任するのですが、デュシャンもそのひとりだった。そう、これは周到に企まれた茶番にして挑発だったのです。

マルセル・デュシャン「泉」(1917) 撮影:アルフレッド・スティーグリッツ

 デュシャンは事件後に、仲間と一緒に雑誌を刊行し、こんな意見を掲載・発表します。

 マット氏があの泉を自分の手でつくったか否かは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。平凡な日用品を取り上げ、新たな作品名とものの見方のもとに、その有用性が消えるようにして、このオブジェのための新たな考え方を創造したのだ。*1

雑誌『The Blind Man』第2号に掲載された記事「リチャード・マット事件」

 選び、名づけて、新しい見方を示す。デュシャンはこの方法でつくった作品を「レディメイド」(既製品)と命名しました。シュルレアリスムの創始者で詩人のアンドレ・ブルトンによる定義は「アーティストの単純な選択によって、威厳あるアート作品に格上げされた日用品」*2です。

「アートの」ではない作品


 20世紀初頭は、政治・社会制度、科学、技術に限らず、美術、音楽、文学、演劇、バレエなど、芸術の諸分野においても革新が行われた時代でした。若き日のデュシャンも新しい芸術についての思いをめぐらせます。そして、常人には決して思いつかないような問いを自ら発しました。「『アートの』ではない作品をつくれるか」

 アーティストにとって「作品」とは「アート作品」のこと。ふたつを分けて考えるなんて普通は想像すらできません。そんな異例の問いへの答えがレディメイドであり、デュシャンは平凡な櫛、シャベル、帽子掛けなどを作品として発表するようになりました。そして、レディメイドについての考えを深化させ、後に次のような主張を展開するに至ります。

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