オログ湖畔のモンゴル人たち(撮影:P.K.コズロフ、1926年、ロシア地理学協会蔵、チンギス・ハーン博物館提供)

ゲルの前でキセルの男たち
 

 テントのような形をした移動式住居「ゲル」の前でキセルをふかす武骨な男たち。およそ100年前の1920年代にロシアの探検家で考古学者のピョートル・コズロフがモンゴルのオログ湖付近で撮影した写真だという。「モンゴルでは今でもこんな生活が主流だと思われているでしょう」。モンゴルを研究している国立民族学博物館(民博)の島村一平・准教授(文化人類学)は言う。

 民博で5月31日まで開かれている展示「邂逅する写真たち-モンゴルの100年前と今」では、100年前と現代のモンゴルを捉えた写真が紹介されている。日本とモンゴルの外交関係樹立50周年を記念した特別展という。

 モンゴルと言えば「大草原」「馬」「遊牧民」「モンゴル相撲」というような固定化したイメージは、首都ウランバートルで2017年に撮られたロックコンサートの写真によって打ち崩される。

グランジロックのバンド“ニスバニス”のライブでヘッドバンギングする若者たち(撮影:B.インジナーシ、ウランバートル、2017年)

 黒いTシャツにジーンズ姿の若者たちが肩を組みながら激しく頭を上下する。激しいロックの大音量が伝わってくる。写真だけ見れば、そこがモンゴルだと言い当てることは難しいだろう。現代モンゴルでラップがさかんな状況を紹介した著書『ヒップホップ・モンゴリア』(青土社)もある島村准教授は「この100年の間に、モンゴルは都市化と開発が進み、めまぐるしく変わった」と話す。

約100年前のウランバートル中心部にあった「黄の宮殿」は宗教都市であったことを物語る(撮影:ステファン・パセ、ウルガ、1913年)

「聖なる都」に黄金宮殿

 

 そもそも100年前のウランバートルは「聖なる都」だった。中心部には「黄の宮殿」と呼ばれる黄金のゲル型宮殿・寺院が、まるで天守閣のようにそびえていた。しかし、1924年、ソ連に続いて世界で2番目に社会主義を採用し、モンゴル人民共和国が成立。そして、89年にベルリンの壁が崩壊すると、民主化の波が押し寄せ、92年にモンゴル国となり、社会主義を完全に放棄した。

 展示では、およそ100年前に西洋の探検家や学者らが現地を訪れて撮影した写真などが紹介されている。ロシアや中国という大国に挟まれ、地政学的なリスクを抱えたモンゴルが、どのような軌跡をたどったかを貴重な資料が物語る。

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