少年時代から特別な思い

 「少年時代から京都へは特別な思いを抱いていた」。川端が育った大阪府茨木市にある市立川端康成文学館の高橋照美館長は話す。

川端康成

 川端は旧制茨木中学校(現・茨木高校)に通っていた頃、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌にあこがれ、寄宿舎を抜け出して夜の京都を訪れたこともあったという。戦後、まだ新幹線もない頃。鎌倉の自宅から特急「はと」で京都にたびたび向かった川端は「東海道線を京都に近づくにつれて、山川風物にやわらかい古里を感じる」とエッセーに書いた。乗務員である「はとガール」たちと顔見知りになり、お年玉をあげることもあったという。

川端の少年時代に刊行された京都関連の著作(川端康成文学館)

 川端はいくつかの作品で京都を舞台に選んだが、その中で最もよく知られているのが『古都』だろう。

 『古都』は62歳の年である1961年10月から朝日新聞の連載小説として掲載された。川端は下鴨神社近くの邸宅に滞在して執筆した。

 ただ、その創作の裏には大変な苦労があった。

睡眠薬服用、原稿も遅れ


 「連載開始が当初予定よりも早まったことも影響したようです」と高橋館長は言う。川端は体調が優れず、睡眠薬を服用しての日々で、原稿は常に遅れがちだった。洋画家・小磯良平の挿絵と文のつじつまが合わなくなり、差し替えたこともあったという。

 川端の没後50年を記念して川端康成文学館で「古都をかける川端康成」と題して開かれている特別展では、掲載挿絵の原画とともに、使用されなかった作品も紹介されており、「名作」の舞台裏をうかがわせる。

川端が揮毫した「古都」の文字が入った日本酒のラベルデザイン(川端康成文学館)

「通俗観光小説」指摘も
 

 『古都』は、生き別れた双子姉妹が再会する叙情にあふれた物語で、映画化もされたが「評価が分かれる作品」でもある。美しい姉妹の交わりがたい運命。その背後で、四季の移り変わりとともに祇園祭や送り火など京都の年中行事絵巻が展開する。「通俗観光小説という意地の悪い指摘もされた」と高橋館長は話す。

 もちろん、川端は「名所案内記」を書こうとした訳ではないだろう。独特の「京言葉」にも苦心しながら、川端が『古都』を描かなければならない理由はどこにあったのか。

 『古都』の連載中、孤独な執筆を後押しする心強い援軍が登場した。

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